そのことは、日本経済新聞(10月4日付朝刊)の名物コラム「風見鶏」で初めて知った。同紙の官邸詰めキャップ、秋山裕之記者が書いた「首相『財務省嫌い』の虚実」と題された記事である。正直、ここまで書くのか、と思った。<……首相に「財務省嫌い」という印象が広がっていた。首相動静をみると、面会相手に「宇波主計局長」が登場するのは2月16日が最後だ。次官人事発令の8月7日まで半年近く空いた。……首相がめざす消費税減税で対立し、出入り禁止になったとの噂を生んだ。実際は違う。宇波氏は首相動静に出ない形で何度も裏口から官邸に入っていた。首相と自民党の小野寺五典税制調査会長らの面会にも同席していた>
官邸サイドが、時の政権が明るみに出したくない人物との面会を「首相動静」に発表しないことは少なくない。記事にある「官邸の裏口」は、首相官邸と道路を隔てて向かいの内閣府庁舎側のそれではなく、外堀通りの溜池側にある裏口を指す(筆者も何度かその当時の官房長官など政権幹部との面会や取材で利用している)。「日経」記事のスクープには、これまでの永田町や霞が関で常識とされた高市早苗首相の「財務省嫌い」が、高市官邸と財務省(宇波弘貴事務次官)との出来レースの産物ではないかとの疑いを持たざるを得なくなるほどインパクトがあった。
同記事は続く。<首相の政策をよく見ると、財務省の知恵を生かしていることがわかる。たとえば新規国債発行を40兆円程度に抑えるという発言だ。市場の信認を失わないよう意識している。……特別会計をつくり、償還財源や期限を明記した「つなぎ国債」の発行を財源として調整している。5年程度の投資計画を想定した検討が水面下で進む>高市早苗首相はまさに翌日の5日午後、第222回臨時国会冒頭に所信表明演説を行った。首相演説原稿の「二『強い経済』の実現」に、次のような記述がある。少々長い。「『財政の持続可能性』は、『責任ある積極財政』を進める上での当然の前提です。…PB(プライマリーバランス)は単年度ではなく複数年度で管理し、経済成長がもたらす効果も踏まえ、経済、物価、税収、金利、利払い費、市場の状況などを総合的に検証しながら、通年の国債発行額を適切にコントロールしてまいります。経済や市場が想定と異なる動きを示した場合には、その影響を十分に分析し、必要な対応を機動的に講じます。政策を着実に実行し、一つ一つ確かな結果を積み上げ、その内容を国民の皆様や国内外の市場関係者に丁寧に説明する。高市内閣は、正攻法で、市場の政府に対する信頼を高めてまいります」
以上、わずか2パラグラフ(280字)に、「市場」という言葉が4回も使われている。とりわけ、最後の<市場の政府に対する信頼を高めてまいります>がキーワードだ。高市首相(政権)はこれまで市場からの信頼を得られず円安進行を招来したが、これから財政規律に深く目配りして国内外の市場関係者の信頼を勝ち取りたい、と言っているに等しい。事実、所信表明演説を報じた「日経」(6日付朝刊3面)はこう指摘した。<今回は「政府が単に歳出を増やすということではない」と説明しつつ「『強い経済』と『財政の持続可能性』をともに実現する」と表現した。歳出拡張に傾いているわけではないとの姿勢がにじんだ。財政政策には市場に加え、米国も厳しい目をむける。利上げの遅れや拡張的な財政政策が円安を招く可能性を念頭に置く>ジャーナリズムでは、このような世界有数の経済紙を自負する日本経済新聞と安倍晋三元首相の後継者を自任する高市首相との政策対立を巡るやり取りを「キャッチボール」と呼ぶ。▶︎
▶︎そもそも高市氏は2月総選挙で消費税減税を公約に掲げ、自民党単独で衆院3分の2超の316議席を獲得して歴史的大勝を掌中に収めた。この勝利が翌3月の訪米(18~20日)の成功を手繰り寄せた。ドナルド・トランプ大統領は19日(現地時間)夜の歓迎夕食会で、「日米両国は、世界中のどの国よりも強く、自由で、成功した国となった」と述べた。トランプ氏は、強い人が好きなのだ。高市氏率いる自民党が衆院選で大勝利を収め、さらに不動のネーションリーダーの地位を獲得したことで以前に増して大好きになった。
よって高市氏は自らが掲げる「責任ある積極財政」に自信を抱き、その後の7月21日に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)2026」までの期間で、強い経済の実現に向けた戦略的投資・分野横断的な取り組み、後の17の戦略分野における官民投資ロードマップなどを打ち出した。
だが、日本経済新聞は一貫して「責任ある積極財政」に対する批判的論調に終始した。それだけではない。続く8月5日に閣議決定した食料品の消費税税率1%へ引き下げによる財源10兆円を巡り、事実上の反消費税減税キャンペーンを展開する。こうした中で、高市官邸は日経報道に不満を募らせた。筆者も官邸関係者から何度となく高市氏の「日経嫌い」が日を追うごとに強くなると聞いた。一時は、日経主催のイベントに政府は一切協力しない寸前まで行ったという。
そもそもは円安進行が留まることを知らず1ドル=160円超えとなった4月後半から、株安・円安・債券安(長期金利上昇)が同時進行するトリプル安を誘発し、米金利にも波及する兆しを察知したスコット・ベッセント米財務長官から非公式ルートを通じて日本側に強い懸念が伝えられた。5月中旬の米中首脳会談直前にベッセント氏が東京に立ち寄り、11日夜に片山さつき財務相と夕食を交えて長時間会談(三村淳財務官同席)。翌日午後に高市首相を表敬した。この「ベッセント・ファクター」が効いた。首相周辺のリフレ派住人は別にして、高市氏はリアリストである。さすがに軌道修正に動いた。それでも平場では、異常気象の夏が終わり9月を迎えて16~18日の自民党執行部、内閣改造、副大臣・政務官の高市人事が俎上に載ると、直前の米ノースカロライナ州アッシュビルG20財務相・中央銀行総裁会議後の記者会見(1日)でベッセント氏が「日本にリフレ政策を止めるべきだと伝えた」と、日経新聞(8日付朝刊)は大きく報じた。このまま日経vs官邸は10月5日召集の臨時国会まで続くのかと見られた。
まさにその矢先、同紙(3日付朝刊)に片山財務相単独インタビューが掲載された。見出しはそのものズバリ「政策発信『ワンボイスに』―片山財務相、米意識しリフレ色払拭」だった。そして翌日が、冒頭に紹介したコラム「風見鶏」である。高市官邸と日経新聞の財政政策を巡る攻防は「一時休戦」となったと見るべきだろう。
