2020年10月 菅義偉首相は「モーレツ中間管理職」か?!

臨時国会が10月26日から始まった。菅義偉首相の所信表明演説から書き起こしたい。予想通りというか、個別政策が期限付きでずらりと並んだ。良く言えば「エピソードや美しい言葉遣いでなく、単刀直入、ストレートに目標を提示した」(山口那津男公明党代表)。悪く言えば、菅官房長官時代の定例会見の延長で、心に響くものがなかった。 
 具体的には、デジタル改革の司令塔となるデジタル庁設立を急ぐ考えを強調、不妊治療への保険適用も「早急に実現する」。観光需要を回復するため「政策プランを年内に策定する」。年末までにポスト「子育て安心プラン」を取りまとめる。携帯電話料金を引き下げる。「約束した改革はできるものからすぐに着手する」と訴えた。小粒、個別過ぎる。どういう社会の姿を描くのか、グランド・デザインが見えない。「首相はピンポイントでマイクロ・ミクロ政策に傾注するタイプだ。マクロ経済政策に関心すら持っていない」という某官僚の指摘は的を射ている。唯一、評価したいのは2050年までに温暖化ガスをゼロにする中長期目標の設定である。 
 デジタル改革はいいとしても、どんなデジタル国家を目指すのか。20年前、世界中で日本はデジタル化の先頭を走っていた。今やアジアの諸国にも周回遅れである。コロナ禍を目の当たりにしてデジタル化が国力に影響すると分かったのは良しとする。押印廃止やペーパーレス行政、デジタル庁設立は必要なことだ。しかし、それだけでデジタル改革が進むわけでない。行政のデジタル化は世界中どこでもやっていることだ。『インサイドライン』(10月10日号)で指摘したように、日本が世界と比して競争力を失っているのは、ITを駆使する起業家魂の欠如と、DX(デジタルトランスフォーメーション=データやデジタル技術を活用して組織やビジネスモデルを変革すること)の遅延なのだ。首相が号令をかけて事足れりではない。例えば、日米で大きく違うものとして大学卒業後に勉強のために使った金額がある。自分でテキスト買ったり、所属企業が研修ために投資したりする費用を合計すると、日本は1年間で5万円に過ぎない。米国は440万円である。中国の実情は不明だが、国策なのでもっと多いに違いない。官民の奮起を促したい。 
 新首相の国会での初演説は政権の色を映し出す。「行政の縦割り、既得権益、悪しき前例主義の打破」は、橋本龍太郎政権時代から言われてきた「古くて新しい」スローガンである。何も菅政権の専売特許ではない。「私が目指す社会像」として言及した「自助・共助・公助」や「絆」は自民党綱領に記載されているものだ。歴代首相が多用した故事や格言の引用はなく、自身のエピソードも「雪深い秋田の農家に生まれ、地縁、血縁のない横浜で、まさにゼロからのスタートで政治の世界に飛び込んだ」と短く触れたのみだった。
 勝手に想像すると、所信表明演説の草稿は高羽陽首相秘書官(事務)らの合作ではないか。スピーチ・ライターが書いたものとは思えない。忙しい首相に書く暇がなかったとしても、草稿に自ら手を入れ、国民の心に響くものにしてほしかった。首相は数カ所読み間違えた。自分が書いたものなら読み違えは起きない。一国の首相が初所信表明で他人が書いたものをだらだらと読むこと自体、世界の「非常識」ではないのか。こういう悪しき前例主義も一緒くたに打ち破ってほしかった。政治がより国民に近づくし、生き生きとしてくる。 
 首相秘書官で言うと、筆者は以前、菅内閣の秘書官人事予想を間違えた。慣例に従って、各省庁の局長クラスを揃えると読んだが、菅氏は自分の官房長官時代の秘書官らを繰り上げた。官房長官秘書官は各省庁の課長クラスである。立場の違いだけでなく、首相秘書官と官房長官秘書官は、求められている仕事の内容が違う。首相秘書官は政策の決定に当たり、各省庁のトップに諮って調整したうえで首相に裁可を求める。▶︎

▶︎官房長官秘書官の仕事は、1日2回の定例記者会見用の想定問答集作りを手早くやることで手一杯なのだ。政策の整合調整などをやっている時間はない。だから、そのまま繰り上がった現在の首相秘書官にはそうした経験がない。菅氏がその点を分かっていて敢えて「前例主義を打破」したのか、それとも知らないまま断行したのか、不明である。今後政策決定のプロセスでネガティブな影響が出ることを危惧する官邸関係者は多い。 
 筆者が抱く菅氏のイメージは、高度成長期によくいたモーレツ中間管理職である。少し好事家的になるが映画で言うと、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」に登場する渡辺謙演ずる指揮官・栗林忠道陸軍中将ではなく、サボった兵士を鞭打ちにする中村獅童の鬼軍曹(肩書は海軍大尉)の方である。他人にも自分にも厳しい。矢継ぎ早に部下に指示を出し、話し終わると電話の受話器を叩きつけるように置く課長サンの印象だ。社員の誰もが見えるように営業成績を棒グラフで展示する嫌なタイプの上司である。リモート・ワークや「働き方改革」が推奨される現在、おそらく絶滅危惧種になっていると思われるが、首相官邸にはまだ「生存」する。 
 菅氏は酒をたしなまない。毎朝4時半に起床する。その後スポーツ紙を含め全紙に目を通してから、1時間弱の散歩に出かける。このルーティンが終わってからがモーレツ管理職の本領発揮となる。新聞の「首相動静」欄では「キャピトル東急ホテルのレストラン・オリガミで秘書官らと朝食」となっているが、これが「目くらまし」だ。菅氏は官房長官時代から「オリガミ」の個室を月曜~金曜日で借り切っている。ホテル地下駐車場からオリガミまでは専用動線があり、菅氏から事前に「朝食懇談」で呼ばれた知恵袋たちも駐車場から専用エレベーターで厨房隣まで上がると個室に直行できる。専用動線の要所にはSPが配置されている。従って、ごく一部のホテル関係者以外は菅氏が誰と会食・面談しているか分からないのだ。 
 菅氏は読書家とは言えない。寸暇を惜しんで、こうした知恵袋たちとの耳学問から政策を練り上げ、アイデアを蓄積してきた。かつて某高級官僚は筆者に語っていた。「菅さんは必要とあれば関係省庁や民間の専門家をフル動員して畳みかけるように方向性を示したうえで具体的な指示を出し、満額回答で実現するパワーを持っている。官房長官時代の菅さんは本当に怖い人でした。最終決断は安倍前首相でしたが、政策によっては『官房長官と相談して決めて』と言われるケースがあった。しかし、菅首相ではまずありえない。すべてを菅首相が決定し、手抜きを絶対に許さないだろう」。菅首相の誕生で、霞が関の官僚たちも未体験ゾーンに突入したわけだ。 
 東北人は口が重い、と言われるが菅氏もその例に漏れない。口下手なことは、行政府の長としての弱点である。臨時国会での所信表明演説や代表質問は官邸官僚作成のペーパーを棒読みしていたら済んだが、一問一答形式の予算委員会質疑はそうはいかない。野党側は新政権の勢いを削ごうと、日本学術会議の新会員候補を任命拒否した問題の追及に狙いを定めている。事前通告があるにしても、想定外の厳しい質問の集中砲火を浴びることが予想される。野党が持てる力を最大限発揮するのが予算委員会の場だ。菅氏たじたじになる場面があるかもしれない。学術会議問題が報じられた後に行われたメディア各社の世論調査で、内閣支持率は発足当初から10ポイント前後下落した(それでも共同通信調査で60.5%もあった)。「首相の答弁次第ではさらに下がるかもしれない」と不安視する声が与党内にある。 
 もう一つの不安材料は菅氏の「外交力」だ。国益を背負ったタフ・ネゴシエイターである各国のつわもの首脳と通訳のみの「テタテ会談」を臆することなくできるのだろうか。外交を得意とし、各国首脳とほぼ対等に渡り合ってきた前首相の姿が刷り込まれているだけに、彼我の違いに不安がよぎる。この問題は別の機会に論じることもあろう。今回は指摘だけにとどめておきたい。 

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