このところ安倍晋三首相の体調が良くないとされる。コロナ禍の対応で疲労が蓄積・沈殿している。隠そうにも表情に出てくる。連日のコロナ対策本部会合で、会議終了後メンバーが部屋を退出しても安倍首相は一人椅子に座ったまま目を指でマッサージする姿が見受けられる。確認したわけではないが、7月上旬、首相官邸内で嘔吐したという情報も耳にした。難病指定の持病、潰瘍性大腸炎が悪化しているのだろうか。周辺によると、気力でどうにか持っている。
分刻みスケジュールのネーションリーダーにも息抜きが必要だ。歴代首相で、この「オン」「オフ」が上手だったのは中曽根康弘氏だ。空き時間ができると、というより意識してリラックスタイムを作り東京・谷中にある山岡鉄舟が建立した「全生庵」に出向いて座禅を組んだ。首相時代に172回も通っている。
中曽根氏は座禅の極意をこう語っていた。「まず深呼吸をする。そしてお尻の下にある深さ1000㍍の井戸から気をグーっと吸い上げたら、今度はそれをまたグーっとプッシュバックする。それを想念で静かにやる。すると、バラバラになっていた体の細胞が上下関係に整ってくる感じになる」。中曽根氏は首相執務室で昼寝の時間も設けていた。番記者たちはそれを「中曽根タイム」と呼んだ。中曽根タイムに入ると、秘書官は誰も面会させなかった。
安倍首相は、コロナ禍の緊急事態宣言発令中も含め夜会合を控えた149日間、休日なしで官邸に出ずっぱりだ。夕食は官邸か公邸で秘書官らと弁当を食べていた。弁当は和食店「なだ万」が調理したものが多かった。5種類ある弁当をローテーションで回した。食べ終わると、富ヶ谷の自宅に帰った。いくら何でも、宅配弁当だけの食生活は貧しすぎる。昭恵夫人は家で夕食を作らないのか、という疑問が当然湧く。
生涯一度も包丁を握ったことがないことを自慢していた高名な女優がいた。トップレディーも同列なのか。その辺の事情は安倍官邸のトップシークレットらしく関係者も口をにごす。以前小欄で「アベノミクスは3本の矢 アベノマスクは2枚の布 アベノリスクは1人の妻」という戯れ歌を紹介したが、どうやらおちゃらかしで済まなくなってきた。
安倍首相の息抜きはゴルフだ。国民にステイ・ホームを要請しておきながら、自分はゴルフというわけにもいかないから息抜きに手が届かない。7月23日からの4連休プラス2日間、今井尚哉首相補佐官らがまとまった休暇を取らせようと山梨県鳴沢村の別荘訪問とゴルフを計画していた。しかし、この時期に郊外で休暇を楽しめば更なる批判を招きかねないと判断、取りやめている。首相周辺は8月15~17日、特段のことがない限り夏休みを取らせる覚悟を固めている。
古語の「君」には「主君、主人」の意味がある。偶然のアヤと言えるが「コ」「ロ」「ナ」という字を重ね合わせると「君」になる。官邸の「君」はコロナに足を引っぱられ、体調がおかしくなり、息抜きまで奪い取られている。
体調だけでなくやることなすこと歯車が狂ってきた。国民への一律10万円給付で朝令暮改を繰り返しただけでなく、政府の観光支援事業「GoToトラベル」でも迷走が続いた。事業から東京を除外したことで1兆3500億円を投じて得られる経済効果は大幅に減じる見通しだ。「コロナばらまきキャンペーン」と評判も良くない。コロナ感染拡大が東京から全国に波及している状況から、一時期風速4~5㍍まで強まった秋の解散・総選挙もしぼみ出した。「安倍1強」の求心力は低下どころか、今や放射状の「遠心力」へと向きを変えている。▶︎
▶︎ 7月中旬、首相官邸内でこんな一幕劇があった。出演者は「君」を含めた官邸幹部らである。キモ部分の「脚本」を抜粋する。
官房副長官「世情では早期解散、それも今秋にあると話題になっています」
首相「フーン、本当に?」(馬鹿だな、今はそれどころじゃないだろうというニュアンスで軽く笑う)
官房長官(無言のまま首相に同調するようにうなずく)
永田町の空気は解散風が弱まり、無風に近い微風となって淀んできた。また風速を強めるにはコロナとの追いかけっこになるが、ウイルスは人類の天敵だけに並大抵のことではない。
お盆明けから始まる「政局秋の陣」は、内閣改造・党役員人事、それを受けての解散・総選挙の有無、さらには「ポスト安倍」の駆け引きが焦点になる。
安倍後継レースはすでに神経戦に突入している。安倍首相は21日発売の月刊誌「Hanada」のインタビューで、菅義偉官房長官の後継候補について「有力な候補の一人であることは間違いないと思います。ただ、菅総理には菅官房長官がいないという問題がありますが(笑)」と冗談めかして答えている。実は、筆者はこれまでどこにも書いていないが尊敬する政治評論家から聞いて温めていた情報がある。政治評論家が官邸で安倍首相とサシで懇談した際、首相は「後継は菅官房長官がいい」と断言したというのだ。この情報とインタビュー記事は平仄が合う。
巷間、安倍後継で首相のお目当ては岸田文雄政調会長だと言われてきた。その根拠について、自民党某幹部の「岸田評」が的を射る。〈岸田氏は東大合格ナンバー1の開成高卒なのに東大受験に3回失敗し、最後は早稲田大に行った。普通ならば、世間に対する見方が斜に構えてひねくれ者になる。岸田氏は掛け値なしに、そのようなこととは無縁の実に良い人間だ。政治家ならば権力を目指すのは当然である。そのために政策を磨き、仲間を増やし、名前を売っていく。政治家には知見と経験が求められる。しかし、人間として良い人になるには努力してもなれるものでない。安倍首相は長い付き合いで、岸田氏のそういう点を見てきた。それは大事な武器となる。しかも天分のものだ。私にはない〉と、オチまでつけた人物月旦だ。
永田町、霞が関でその岸田氏に首相待望論がほとんどない。岸田外相時代に仕えたという某官僚でさえ「この国難に岸田さんに国を任せることができるかという声が圧倒的に多い。良い方であるのは間違いないが、ネーションリーダーとしての気概や迫力に欠ける」とつれない。誰に聞いても、岸田氏の枕詞は「良い人ではあるが……」になる。各種世論調査でポスト安倍のトップになる石破茂元幹事長は、安倍首相には「絶対に首相にさせたくない人物」へとフォーカスする。ケミストリーが全く合わないというか、顔を見たくないし、口もききたくないらしい。
「岸田無理、石破絶対ダメ」の消去法で行くと、菅官房長官の安倍後継がリアリティを帯びてくる。政策継承の点から「菅首相、加藤勝信官房長官、茂木敏充幹事長」の組み合わせがゴールデン・トリオと早くもささやかれている。一時期、菅氏が安倍後継に色気を見せ、仲間集めで金をばらまいたことに首相側近の今井尚哉補佐官が反発、官邸内は菅派と今井派に分断した。その後、隠れ菅派の河井克行元法相・夫人案里参院議員が逮捕されたことで、菅氏は否応なく「音なし」の構えを余儀なくされた。しかし、後継首相への野心が潰えたとは筆者には思えない。
菅氏の手勢がどれほどいるかは蓋を開けてみないとわからない。ただこれまでキーポジションとなる森山裕国対委員長(石原派)や佐藤勉元国対委員長(麻生派)らを抱き込み、勘所は押さえている。政界の実力者になるにはそういう周到さが必要だ。「早朝から深夜まで情報収集に努める菅には昭和のモーレツ管理職の趣がある。酒を飲まず、行者のようであり、周囲を心服させる雰囲気がある」。毎日新聞コラムニスト、山田孝夫氏の菅評である。果たして「昭和のモーレツ管理職」は官邸の「君」へと上り詰めるのだろうか。