東京五輪の開会式は、ビデオリサーチの調べで56.4%の高視聴率だった。前回リオ大会の23.6%を2倍強も上回る。1964年の東京大会61.2%に迫る「紅白歌合戦」並みのお化け数字だ。因みに、米NBCが放映した開会式の視聴者数は前回大会と比べ36%も減少した。彼我の違いは何なのか。競技が始まると、日本人選手のメダルラッシュが続いている。メディアはメダリストのサクセス・ストーリーをこれでもか、と書きまくる。ゲップが出るほどだ。「始まれば、日本人アスリートの金メダルラッシュで不安は吹き飛ぶ」。開会式前、一縷の望みにスガっていた菅義偉首相は「してやったり」とほくそ笑んでいるだろう。
金メダル第1号選手に祝電するパフォーマンスをやって見せるほど五輪に入れ込んでいる。「薩摩の教え」というのがある。評価されるべき人の順序を記している。①自ら挑戦し、成功した者②自ら挑戦し、失敗した者③自ら挑戦しなかったが、挑戦した人を手助けした者④何もしなかった者⑤何もせず批判だけしている者――の順番だ。「どうだ、俺はどっちみち①か②に該当する」と菅氏は胸を張りたいところだろう。ところが国民は、五輪の強行開催を菅氏の功績だと思っていない。日経新聞とテレビ東京が開会式直後の23~25日に共同実施した世論調査によると、内閣支持率は前月比9ポイント減の34%で内閣発足以来最低となった。不支持率は同7ポイント増の57%、最高値を塗りかえた。五輪の熱気を政権浮揚のツールにしたくても、どうやら国民は五輪と内閣支持率は別物とみている。内閣支持率の動向については後述する。
ならば、国民の半数以上が中止もしくは延期を求めていたのに、この高視聴率は何なのだ。日本人はダブル・スタンダードなのか。口角泡を飛ばす前に、その理由を冷静に考えてみたい。とにかくトラブル続きの経緯をたどった。メインスタジアムの国立競技場の建て替えに始まり、大会エンブレムの盗用疑惑、日本オリンピック委員会(JОC)や大会組織委トップの辞任・交代、コロナ禍で大会の1年延期、無観客での開催、閉開会式の演出を巡るゴタゴタなど不祥事と異例のオンパレードだった。
これだけマイナスの連鎖が続くと国民は「五輪はまともに開催されるのだろうか。世界に大恥をかくことにならないか」と、逆に心配の方が頭をもたげる。ダメ親父の行く末を心配する息子の気分となる。自分たちは自粛を強いられたのに五輪だけ特別という恨み、コロナ禍の蔓延を助長するという不安、はこの際ちょっと脇に置いて「そもそも開会式はまともに行われるのか」「最後まで無事にやり遂げられたら、それこそハプニングだ」などの方に興味をそそられる。こういう怖いもの見たさとしくじりの追認をしたいがために「開会式ちょっと覗いてみようか」のやじ馬気分が集積して高視聴率につながったのではないか。夜の時間帯放映や外出自粛のなかでテレビをつけるしか他にやることがなかった環境もプラスに働いた。SNSではさまざまな声が飛び交った。「恐れていたほどダメではなく、かといって凄く良かったわけでもない」「“とりあえず感”満載で情けない」「先進国として大恥をかくのは避けられたのではないか」「ドメスティックな連中に仕切らせてはダメ。これでは紅白歌合戦と同じレベル」。期待と不安、毀誉褒貶、揶揄と嘲笑、全てを飲み込んで投稿は乱舞した。開会式の時間視聴率を子細にみると面白い。トーマス・バッハIОC会長の「空気を読まない」13分の長広舌は視聴率をグーンと押し下げた。それを天皇陛下の14秒の開会宣言が少しだけ押し戻した。ツイッターでは「バッハ会長の話が長いのは、森喜朗氏の『女は話が長い』発言を、自ら体を張って否定しているからなので、しょうがない」「全国の校長先生…夏休み明けの集会のお話の長さで、あだ名が陛下かバッハか、がかっております」と、粋な投稿も散見した。 ともあれ、五輪が走り出した。永田町住人の関心はポスト・五輪政局に移っている。菅氏は果たして再選されるのか、衆院の解散・総選挙はいつになるのか、自民党は何議席減らすのか。突き詰めれば、この3点にフォーカスされる。各メディアが直近に行った世論調査の内閣支持率などを一覧表にしてみた(単位は%)。▶︎
▶︎菅内閣の支持率はいずれも過去最低、不支持率は過去最高となっている。コロナ感染拡大やワクチン接種の混乱が原因に違いない。自民党の支持率下落も目立ち始め、党内では衆院選への不安が加速している。とりわけ、7月4日の東京都議選での自民敗北は「自民支持層の離反」「無党派層の自民支持低下」が2大要因である。コロナ対策を含め国民への約束を実現できない菅氏への批判が自民離れに拍車をかけた。
「青木の法則」あるいは「青木方程式」と呼ばれる政界用語がある。参院のドンだった青木幹雄元官房長官が唱えた法則だ。てっきり死語になっていると思っていたが、菅氏の不人気でまたぞろ耳にするようになった。内閣支持率と与党第1党の政党支持率を足した数字が50を下回った場合、政権は倒れるという方程式である。科学的根拠というより経験則なのだろう。
先の一覧表で「青木の法則」を当てはめてみると、時事通信の調査が「50.7」でラインすれすれのところまで来ている。このまま下落が続けば、菅氏の早期退陣は現実味を帯びる。実際に菅政権が倒れるとは、どのようなケースが想定されるのだろう。巷間言われてきた衆院解散・総選挙のシナリオは二つあった。
【ケース1】パラリンピック閉会式翌日の9月6日に臨時国会を召集し、冒頭解散する。同28日衆院選公示、10月10日投開票。解散のキャッチコピーは五輪フィーバーの余韻が残っている中で、おそらく「大変とは大きく変わること。我、大変な五輪やってのけたぞ」
【ケース2】臨時国会で巨額の21年度補正予算を成立させたうえで衆院議員任期満了の10月21日に解散。11月9日公示、同21日投開票。菅氏は「ワクチン接種を死に物狂いで頑張りました」と叫んで民意を問う。従前、永田町の総意は【ケース1】の方に傾いていた。「大変な五輪やってのけた総選挙」で、自民党の議席減を最小限に食い止めようという魂胆だった。ところが、ここにきて「衆院選は遅ければ遅いほどいい」との声が勢いを増している。麻生太郎副総理兼財務相は「9月はまだコロナの騒ぎが続いているだろうから、10月以降の選挙になる可能性が極めて高い」と、9月上旬解散を事実上否定する。公明党の山口那津男代表は「ワクチン接種が進めば、望ましい選挙の環境になる」と語り、菅氏が目指す「10月から11月の早い時期」の希望者全員へのワクチン接種完了に合わせた衆院選実施を望んでいる。菅官房長官時代に秘書官として仕えた霞が関官僚は「想定されるよりずっと後ろ倒しになると思う。たとえ1カ月でも時間を多く割いて『ワクチン頑張りました総選挙』の方が、自民の議席減がより少なくて済むからだ。菅首相の性格からするとこちらを採用する」と筆者に耳打ちする。秋の臨時国会の会期を任期満了のギリギリの10月21日まで設定し、最終日に解散すれば、公職選挙法の規定では11月28日投開票とすることも可能になる。
解散を先延ばしした場合、自民党総裁選をどの時点で行うか、悩ましい問題として残る。党内では、10月解散なら総裁選は先行実施すべき、との筋論が根強い一方、菅氏を支持する勢力には、総裁選先行論は菅降ろしを誘発しかねない、との不安がある。甘利明党税制調査会長は民放BS番組で、予め菅首相の総裁任期を延長して衆院選後に総裁選を実施するという選択肢もあり得る、との奇策を開示している。自民党内の規則は国民を縛る法律ではないから融通無碍、何でも自由に変えられる。今、自民党の勢力図は「3A対2F」のにらみ合いになっている。3Aとは安倍晋三前首相、麻生氏に甘利氏を加えた菅応援トリオ、2Fとは「二階」俊博幹事長のことだ。今のところ、両陣営は菅氏の無投票再選で同じだが、再選後の人事をめぐって「同床異夢」である。
他方、内閣支持率の下落や都議選の自民敗北から「菅氏で衆院選は戦えない」との声が若手を中心に勢いを増している。仮に総裁選で立候補者が相次いだら、菅派と反菅派の多数派工作が始まり、ポスト菅の権力闘争へと突入する。これからの1カ月、コロナ感染拡大▽ワクチン接種の進捗状況▽日本の金メダル取得具合、この3変数が絡み合って政権維持成否の輪郭ははっきりしてくるだろう。