2021年8月 「菅vs岸田のガチンコ」後の混迷政局

 横浜市長選後の新聞コラムで、エスプリが利き洒落ていたのは東京新聞の「筆洗」だ。♪街の灯(あか)りがとてもきれいね のご当地ソング「ブルー・ライト・ヨコハマ」。菅政権には美しいロマンチックなブルーではなく、危険を知らせる「レッド・ライト・ヨコハマ」がともっている――とオチを付けた。 
 横浜市長選の真の敗者は菅義偉首相である。選挙結果のいろんなデータに目を通していてたまげたのは、菅氏の選挙区である衆院神奈川2区(横浜市西区、南区、港南区)での惨敗だ。3つの区すべてで菅氏の推した小此木八郎前国家公安委員長が、対立候補の山中竹春前横浜市大教授に負けた。しかもトータルでは18万445票の大差だ。過去の選挙まで精査したわけでないが、直感で言うと、現職首相にもかかわらずこんなに地元で弱い政治家は初めてでないか。
 小此木氏の父、故彦三郎氏は通産相や建設相などを歴任した有力政治家だった。その彦三郎氏の秘書から横浜市議を経て政界入りしたのが菅氏である。菅氏にとって八郎氏は家族同然だ。カジノを軸とする統合型リゾート(IR)横浜港誘致の旗振り役だった菅氏が、誘致反対の八郎氏の支援をあえて表明し、政府中枢の坂井学官房副長官と首相秘書官(政務)まで小此木陣営に送り込んで必勝を期した。自身は地元有力者に直接電話をかけまくっていたという。それがぐうの音も出ない大敗である。自分の選挙区の有権者から「あんたではダメだ」と烙印を推された現職首相が、どうして全国を網羅する衆院選で与党の「顔」になれるだろう。毎日新聞の28日の世論調査で、内閣支持率は過去最低の26%に落ち込んだ。日経新聞の直近調査は34%と横ばいだった。自民党は蜂の巣をつついた騒ぎである。 
 一部メディアは「次期衆院選、現職首相が落選か?」という物騒な予想記事まで出した。まさか、と思うが、野党共闘体制で推せる強力新人候補が落下傘降下するとひょっとしたら、と思わせるところが菅氏の「不徳の致すところ」だ。仮に、神奈川2区が首相vs野党有力新人の対決となったら、最大の注目選挙区になるのは請け負う。 菅氏には根拠のない楽観視や読み違えが多い。五輪で日本のメダルラッシュが続けば内閣支持率もアップする、と思い込んだ。メダルフィーバーとなったが、五輪後の支持率は更に落ち込む。支持率はメダルの数と正比例するのではなく、コロナの感染数と反比例した。ワクチン接種が進めば感染数は減る、と読んでいた。
 ところが、変異したデルタ型が猛威を振るい手に負えない状況に追い込まれている。緊急事態宣言発令は21都道府県、まん延防止措置は12県に及ぶ。作家の村上春樹氏(72)が29日のラジオ番組で、ねちっこい菅批判をぶっかましている。「今日の言葉は、われらが菅首相のお言葉です。彼は7月の五輪開会式直前にIОCの総会で新型コロナに関してこのように言っています。『長いトンネルの出口が見え始めています』。あのですね…。もし出口が本当に見えていたんだとしたら、菅さんはお歳の割に凄く視力がいいんでしょうね。僕はね菅さんと同い年だけど、出口なんて全然見えていません。この人、聞く耳はあまり持たないみたいだけど、目だけはいいのかもしれない。あるいは見たいものだけ見ているかもしれない」菅氏は3月28日以来、完全な休暇を取っていなかった。8月29日、154日ぶりに丸1日休みを取ったことがニュースになる。メモを棒読みしても、とんでもない読み違えをする。6日、広島の平和記念式典での首相あいさつで、「広島」を「ヒロマシ」、「原爆」を「ゲンパツ」と読み違えた。会見やぶら下がりでもアフガニスタン「情勢」を「情熱」と言い間違え、「感染拡大を最優先にしながら」と読み飛ばす。早速、毎日新聞の万能川柳に「棒読みも慣れてきたから読み飛ばし」とおちょくられる。身体の変調を来たしているのだろうか。休暇を取らないリーダーは誰も称えない。高度成長期のモーレツ社員じゃあるまいし、リーダーたる者、しっかり休み、じっくり考える人が望まれている。時代は変わっているのに、古い経験則に縛られ、はき違えていないか。支持率の右肩下がりから自民党内で「菅首相では戦えない」と響いていた通奏低音が、市長選惨敗後一段とボリューム・アップした。陰でモソモソ言っていたのが、誰憚ることなく公然と口にするようになっている。▶︎ 

▶︎ 自民党総裁選は「9月17日告示、同29日投開票」と決まった。早期の衆院選解散が厳しくなった情勢から、総裁選が前倒しされる。国会議員383票と党員・党友383票のフルスペックの戦いだ。菅氏は再選を目指す。岸田文雄前政調会長が出馬を表明した。一時は「出ない」と言っていた石破茂元幹事長が「まったく白紙だ。告示前日までよく考える」に転じた。推薦20人が集まれば出てくるだろう。高市早苗前総務相(無派閥)も出馬に意欲を見せる。竹下派(52人)会長代行の茂木敏充外相や河野太郎規制改革相(麻生派)は今のところ音なしの構えだ。反菅票を分散させるためには「第3、第4に候補を立てるべきだ」との声も出て、展開次第では大混戦になりそうだ。
 派閥領袖で菅再選を公然と表明しているのは、二階俊博幹事長と石原伸晃元幹事長の2人だけである。そのお膝元の二階派(47人)は26日、在京議員懇談会を開いたが、二階氏が欠席したこともあってか、大荒れとなった。10人近い議員から「意思決定はみんなの意見を聞くべきだ」と注文が付き「この支持率の低さでは、全員討ち死にだ」と怒号も飛んだという。さらに菅首相支持無派閥「ガネーシャの会」(20~30人?)内でも不安の声が出てきているようだ。最大派閥・細田派(96人)出身の安倍晋三前首相、第2派閥・麻生派(53人)会長の麻生太郎副総理兼財務相は明確な意志表明はしていないものの、過去の経緯から菅氏支持と見られている。これを根拠に、総裁選での菅優位は動かないとの見方につながっている。 
 ただ、今回の総裁選を取り巻く状況は1年前と様変わりした。選挙基盤の弱い若手議員らが「派閥談合での菅再選では国民の批判を招く」と堂々と口に出すようになった。しかも、誰が見ても党員・党友票では菅氏の苦戦は避けられない。政権に近いとされる産経新聞とFNNによる直近の世論調査によると、菅氏に今後どれくらいまでトップを続けてほしいかという問いに「9月末の総裁選まで」が最も多く48.2%。「すぐに交代してほしい」の19.9%と合わせると70%近い人たちが「9月末までの交代」を願っている。おまけに自民党支持者でも半数以上の52.5%が菅氏の交代を望んでいた。各派閥が「自主投票」を決めたなら、誰が当選するか、まったく予断を許さない。最初に手を挙げた岸田氏も1年前よりは「戦闘的」に見える。政治学者の中島岳志・東工大教授の岸田評は「当たり障りのないことを言う天才」だが、26日の出馬会見では「当たり障りのある」ことを言った。党活性化に向け「党役員の任期は1期1年で連続3期まで」と言い放った。これは、5年に渡り幹事長を続ける二階氏に「俺が総裁になったら、アンタの幹事長はないよ」と宣戦布告したも同然である。党役員任期を材料に二階氏を狙い撃ちした発信は、二階氏の振舞いを内心快く思っていない安倍、麻生両氏に少なからず影響が与えたようだ。安倍氏は二階氏の衆院選候補者調整に反発している。菅氏は窮地打開のため、総裁選前に幹事長交代を含めた党役員刷新の検討に入ったと報じられている。衆院選の日程も総裁選の行方次第となった。
 もし、菅氏以外の候補が選ばれたら、新総裁を後継首相にするため臨時国会で首相指名選挙が必要となる。新首相は指名後の組閣で新内閣を発足する。この段取りに数日を要するので、新内閣発足は10月にずれ込む可能性が高い。発足直後の解散は可能だが、国民向けに新首相の所信表明演説と各党代表質問の手続きを踏むだろう。一連の段取りを経たうえで、新首相は解散するか任期満了選挙にするか、選択することになる。
 一方、菅氏が総裁に再選された場合、大政局は衆院選後に必ずやってくる。自民党が負けるのは自明だ。問題は負け方である。野党は菅首相で衆院選に突入するのを望む。相手の表紙が新しくなるより、くたびれた表紙の方が戦いやすいからだ。自民党独自調査による「自民大負け」予想も飛び交うなか、負け方次第で菅氏は幹事長ともども退陣を余儀なくされる。かくして混迷政局の幕開けとなる。では、総裁選実施前の「菅氏不出馬表明」というサプライズは果たして「無い」のか。これもまた、安倍、麻生両氏が岸田氏に乗り換える可能性がゼロではない…。本当に「混迷政局」なのだ。