2021年9月「ミスター現状維持」の岸田首相誕生

半月にわたってメディアジャックしてきた自民党総裁選には、無性に競馬レースに例えたくなる衝動を抑え難い。双日総研チーフエコノミストの吉崎達彦氏も自らのニューズレターで競馬中継をやっていた。不謹慎のそしりは甘んじて受けるが、筆者もつい誘惑に乗る。どうしてそういう気分になるかはフロイト博士に分析してもらうしかない。ボウヨミオー後の最強馬を決める自民党総裁杯(G1・永田競馬場・フルスペックの良馬場)は単勝1番人気で気性の激しいキミヂカヘンジン(牡58)が1枠ゲートから勢い良く飛び出し、第3コーナーまで5馬身の差をつけて逃げた。
 追走するのは2枠カイセイボンジン(牡64)と3枠ウハウハホーク(牝60)。出遅れ感のあったマルボーフジン(牝61)はしんがりを走る。4コーナーを回って直線に入ると、キミヂカヘンジンとカイセイボンジンの差はみるみる縮まり、ほぼ同体でゴールラインを通過した。写真判定に持ち込まれ、ハナ差でカイセイボンジンが差し切った。だが、総裁杯には独自ルールがある。5馬身差以上のぶっちぎりで勝った馬はそのまま優勝だが、それ以下の差なら1着馬、2着馬による再レースとなる。第2(決選)レースは、中央競馬会の構成員だけが馬券を購入できる仕組みでオッズ(予想配当率)まで変わる。血統、人気、能力だけの勝負とはならない。前レース2着のキミヂカヘンジンは更にオッズが上がり、決選レースでは脚いろもさえない。対する1着カイセイボンジンは3着ウハウハホークの厩舎が共闘を申し出たことでほぼ勝利を手中にする。決戦レースはカイセイボンジンが最終コーナーから馬なりで加速し、大差をつけて優勝した。
 事実上「第100代首相」を選ぶ自民党総裁選は、予想したシナリオ通りの結果に収まった。限定集団での投票なので波乱もサプライズもない。強いて挙げれば、第Ⅰレースで単勝1番人気の河野太郎氏が岸田文雄氏に後塵を拝したことぐらい。決選投票での結果は戦う前から予定調和のように想定されていた。
 国民には人気の高い河野氏がなぜ敗れ去ったのか、が当コラム選評の肝となる。首相退場後も院政を敷く安倍晋三元首相が語ったとされる「河野氏が首相になったら、国はめちゃくちゃになる」という言葉が結末の伏線だ。河野氏は言動の過激さゆえ自民党の長老たちと霞が関の官僚群から蛇蝎のように毛嫌いされていた。党員・党友が投票する第1レースは人気コンテストの要素が強い。直後に衆院選を控えているので投票権を持つ者は背中に火が点いた「カチカチ山のタヌキ」のような心境で「選挙の顔」選びに臨んだ。河野氏はここで圧倒的に勝ちきれなかったのが最大の敗因だ。逆に言うと、ここでぶっちぎって勝たなければ総裁の椅子に座る方法がなかったのに、それさえ叶わなかった。
 事実上、自民党国会議員の決選投票になると、駆け引き、取り引きが始まる。加えて、永田町は怨念の海である。過去に煮え湯を飲まされたことのある長老らは、河野氏・石破茂氏、小泉進次郎氏の「小石河連合」をどんなことがあっても阻止する構えだった。河野氏は09年自民党が下野した時、森喜朗氏ら長老を「腐ったリンゴ」と言い放って退場を迫った。今回、森氏は高市氏を応援したという。「河野だけは許せん」の思いは妄執に近い。麻生太郎副総理兼財務相の石破氏に対する怒りは永田町では有名だ。石破氏本人が明かしているが、麻生政権の09年夏、農水相だった石破氏は、麻生首相に向かって「今、衆院選に雪崩れ込むと自民党は惨敗する。一度身を引いてください」と進言する。麻生氏は「自分が一番つらい時に『辞めろ』とは何だ」と激怒した。安倍氏の「石破嫌い」も人後に落ちない。
 07年、安倍首相は参院選で民主党に敗北した。石破氏は「党則では、国会議員と都道府県連代表の過半数が賛成すれば、総裁選が行われる」と、安倍総裁リコールの可能性に言及する。それ以来、安倍氏は「石破の顔も見たくない」となった。一方、岸田氏の勝因に特筆すべきものはない。一番輝いていたのが、二階俊博幹事長に喧嘩を売った時だった。戦う男にキャラ変えしたか、と永田町の住人は瞠目した。しかし、その後「総裁選一座の巡業」での論戦を聞く限り、忖度合戦に巻き込まれて、元の「つまらない男」に先祖返りしたようにも見える。結局、中庸が過激に優り、人気より自民党的風土の方が手強かったわけだ。野村克也監督流に総括するなら「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」となる。▶︎

▶︎ひと息つく暇もなく、先の政治日程が目白押しである。岸田新総裁は直ちに党役員人事を行ったあと、10月4日召集の臨時国会で首相指名を受け、組閣に入る。同8日に所信表明演説、各党代表質問が終わった後、大型補正予算審議をするかどうか未定だ。審議しない可能性の方が高いが、その場合、13日に衆院を解散し「10月26日公示、11月7日投開票」が有力だ。人事はどうなるか。当コラムは先走って辞令を勝手に出す。間違ったらゴメン。当初、官房長官は岸田派から上川陽子氏と予測した。海部俊樹政権の森山眞弓氏以来4半世紀ぶりの女性官房長官である。衆院当選6回、法相を務め、決断力と調整能力には定評がある。安倍氏の評価も高い。せっかくキャラ変えに挑んでいる岸田氏はそのぐらいのチャレンジをしてほしい、という願望もある。だが、萩生田光一文科相(細田派)であろう。行動力、胆力に優れ、安倍氏、菅義偉首相の評価も高い。幹事長は、決め打ちする。早い段階から岸田支持をぶち上げた甘利明党税調会長(麻生派)が本命である。岸田氏圧勝の貢献者である甘利氏が、安倍、麻生両氏の意を受けて決選投票に持ち込んだからだ。
 もちろん、共闘した高市早苗氏も重要閣僚で重用する。その他、組閣の陣容については別の機会に論じることがあろう。「理念を語らず、敵を作らない」岸田首相は派閥均衡型の枝ぶりに注力すると思う。筆者が注目するのは首相秘書官人事の方である。菅政権の行き詰まりは「チーム菅」が存在しなかったことと「おれが、おれが」の菅氏の性格に起因する。菅氏は官房長官秘書官をそのまま首相秘書官に格上げした。それまでは首相秘書官(事務)には各省庁の局長・審議官クラス、官房長官秘書官は課長級だった。課長級は答弁メモを作れるが、自民党要路や霞が関との政策調整にはまだ力足らず、が通り相場とされてきた。
 さて今回、各省はどのクラス、どの人材を官邸に送り込んでくるか。事前の取材を加味しながら予想してみる。財務省は1993年入省の吉野維一郎官房秘書課長か中島朗洋文書課長のどちらかだろう。吉野氏は主計、主税をこなすオールランドプレイヤー、中島氏は麻生財務相秘書官を務めた後、文科・公共事業・総務分野の主計エリート。外務省は、岸田外相時代に4年8カ月秘書官を務めた中込正志国家安全保障局内閣審議官(89年入省)がすぐ頭に浮かぶが、他省と入省年次を合わせるとしたら、中込氏を首相補佐官とし、総合政策局の室田幸靖総務課長になりそうだ。経産省は、井上博雄官房総務課長か香山弘文官房経済安保室長が候補である。政務の首相秘書官は、岸田事務所の山本高義政策秘書が確定的だ。山本氏はこの間、安倍政権下の陰の首相、今井尚哉・元政務秘書官兼補佐官から政務の心得とノウハウを伝授されている。
 ただ、親分と一緒でキャラ立ちがイマイチ感じられない。「チーム岸田」が機能するには、睨みの効くバッジ組、政策に明るい民間人を補佐官や顧問で官邸に招き入れる必要がありそうだ。表舞台から去る菅氏にもひと言送りたい。1年間、その対応に右往左往してきたコロナ対策が最終盤にきて、感染者が減り、緊急事態宣言も全面解除となるのはアイロニーとしか言いようがない。
 読売新聞の世論調査によると「評価はするが、支持せず」の二律背反となる。霞が関への恫喝支配はさて置き、絶望的になるぐらい話がヘタだった。政治は言葉のゲームでもある。官僚が作ったメモの棒読みでは国会論戦にならない。対話の拒否である。誠実に言葉を使う、国民に事実を知らせるという民主政治の基本動作の瓦解が9年間の安倍、菅政治だったような気がしている。官房長官のままでいたら、歴代長官の3指に入る力量を発揮した。人にはそれぞれふさわしい居場所がある。退陣表明してから自民党支持率が跳ね上がったのが、立つ鳥の置き土産だった。否、筆者はかつて菅氏を「アリの目線」と名付けたので「鳥」ではなく「アリ」だった。