2021年10月 「うしろ姿のしぐれてゆくか」の岸田首相

衆院選投開票日の2日前に拙稿を書いている。諸兄諸姉は、そんなに無理しないで結果が出てから書けばいいものを、と優しい気持ちで忖度してくれるかもしれない。しかし、世の中には「締切」というものが頑としてある。締切がなければ何でもかんでも先送りしてしまう輩がいるからだろう。締切とは仕事が滞りなくはかどるよう神が与え給うた掟のようなものだ。従うしかない。であるからして、2日後には厳然たる結果が出るのに、当コラムは、ああでもない、こうでもない、と靴の上から痒いところを掻いたような内容になる。賞味期限は10月31日午後8時。冒頭、まずその点をエクスキューズさせていただきたい。 各党の獲得議席をガチで予想して外れたら目も当てられない。慎重な言い回しにならざるを得ない。衆院選は政権選択選挙だが、今回野党が望む政権交代はたぶん起きない。自民党が議席を減らし、他の政党が増やす。ここまでは誰もが言っているし、筆者もそう思う。焦点は、自民党(選挙前276議席)がどのくらい減らすかだ。
 岸田文雄首相は勝敗ラインを「与党で過半数」とハードルを下げている。しかし、自民党関係者の本音は「自民党の単独過半数(233議席)以上」である。そうでないと、選挙後の政権運営が不安定になるからだ。「岸田では選挙に勝てない」のレッテルが貼られ、来夏の参院選を前にポスト岸田を睨んだ動きも出てこよう。自民党が過半数割れとなれば2009年衆院選以来となる。44以上の大幅議席減は過去の例から見て総裁(首相)、幹事長の責任論が出かねない。岸田氏も「うしろ姿のしぐれてゆくか」(山頭火)となる。自民党が単独過半数を獲れば、強固な組織票を持つ公明党(おそらく30議席以上)を加えると、与党絶対安定多数(261議席)に直結する。政権運営での求心力確保が可能になり、続く参院選で負けなければ3年の任期への道筋が開ける。従って、岸田首相の命運も選挙の焦点も「自民単独過半数か否か」となる。ところが、物事は良くできたもので、自民の単独過半数獲得が「微妙」なのである。理由は二つある。一つは、立憲民主、共産を中心とする野党統一候補が全289小選挙区の7割を超える217選挙区(野党系無所属候補を含む)に達したことだ。与野党対決選挙区は史上最多である。野党統一候補効果は序盤、選挙アナリストの予想を超える追い風となった。その一方、終盤になるに従い、立民、共産両党が「共産の閣外協力」を掲げたことに自民は「そんな政権を許していいのか」と反転攻勢に出て有権者の共産アレルギーをかきたてた。このネガティブ・キャンペーンが奏功したとの見方もある。二つ目は、安倍チルドレンと言われる3回生の自民党議員が当落線上にひしめいていることだ。麻生太郎副総裁は、選挙前の派閥会合で「気をつけよう暗い夜道と3回生。あぶねーやつのことだ。忘れないでくれよ」とゲキを飛ばした。「永田町にかかる月も今宵限り、可愛い子分のテメーたちとも別れ別れになる」心境だったか。麻生氏も舌禍がなければ、国定忠治ばりの親分になれただろう。前3回の衆院選で自民党は圧勝したものの、若手を中心に1~2万票の僅差で勝ち上がった議員が70人程度いる。今回、野党統一候補へと舵を切った共産党は各小選挙区で2~3万票の組織票を持っている。自民3回生が競り負けるか、あるいは粘り腰で持ちこたえるかで、結果は自ずと見えてくる。大手メディアや自民党などが実施した世論調査や情勢分析が筆者の手元にある。政権寄りとされる読売新聞の26~28日実施した終盤世論調査が、一番自民党にシビアな結果だった。
 それによると、自民党の単独過半数は微妙だ。小選挙区289のうち、自民候補が優勢なのは113にとどまり、劣勢が60、線上で104人がしのぎを削っている。予想が正しければ、与党で安定多数(244)をうかがう戦いだ。対して、政権に批判的とされる朝日新聞が23~24日、全国38万人の有権者を対象に電話とインターンネットで中盤調査を行った結果は①自民は公示前の276議席より減るものの、単独過半数を大きく上回る②立民は比例区に勢いがなく、公示前の109議席からはほぼ横ばい。ついでに、枝野幸男氏、小沢一郎氏や安住淳氏ら野党大物も思わぬ苦戦と報じている。中盤と終盤の違いはあるものの、普段の風景と真逆である。▶︎ 

▶︎ちなみに共同通信が23~26日、有権者約12万人を対象に実施した終盤情勢の電話世論調査は、朝日の中盤調査と似る。与党は絶対安定多数(261議席)を視野に入れ、立民は伸び悩んでいる。逆に、日経新聞が26~28日行った終盤世論調査は読売新聞の予想と酷似しており、自民が単独過半数獲得の攻防になっている。俯瞰すると「読売・日経」対「朝日・共同」の戦いである。これほど選挙前の予想が相反するのも珍しい。どちらに軍配が上がるか、開票後の楽しみが一つ増えた。ある大手新聞社の世論調査に詳しい人に調査の実態を聞いてみた。彼曰く「新聞各社の世論調査はほとんど固定電話によるものだ。わが社からの調査に応じるのは、実は過半が保守層で自民党支持者が多い。
 加えて、16年6月から選挙権年齢が満18歳以上に引き下げられた。彼らを含めて若者=スマホ世代の独居世帯は固定電話を持っていないうえ、世論調査にも応じていない。このスマホ世代が1年半余のコロナ禍で最も被害を受けて困窮に陥り、政府のコロナ対策に不満を抱き、批判の急先鋒になっている。政府が「何もできなかった」ことへの鬱憤はマグマのように蓄積していると思う。この世代が大挙して投票に行ったら、結果はどう転ぶか分からない。中高年しか調査に応じてくれていない世論調査は今後大雑把に傾向を掴む指標にしかならない」――。新聞は読まない、テレビは見ない、情報はインターネットから、コミュニケーションはSNS、という新人類=スマホ世代に、おっさん、おばさんが中心の政党もメディアもまだ十分対応しきれていないようだ。世論調査の手法も時代に応じて進化しなければガラパゴス化する。とまあ、ここまでグダグダ書いてきたが、一応結論めいたことも言わなければならない。衆院選勝敗の鍵を握っているのは若者世代である。それは投票率で推測できる。従来通りの投票率なら、自民党は持ちこたえる。グーンとアップしたら、自民党は負けているはずだ。
 翻って今回の総選挙を考えると、争点は何だったのか。各党の公約(本当に実行出来るかどうかいささか懐疑的になるが、慣例に従ってそう呼ぶ)を見ると「分配選挙」の様相を呈した。平たく言えば、誰を対象に、どのくらいばらまくかを競い合った。岸田流「新しい資本主義」は、1年前本人が「アベノミクスで中間層がおざなりになっている」と明言していたから、分配による中間層拡大だと勝手に解釈していたが、実のところよく分からない。何をしようとしているか、本人は言わないし、レッテル貼りして意見を言ったような気分になっているフシがある。成長か、分配かの議論は「不毛だ」と言ってきたのに、選挙戦終盤になるに従い「まず成長を」にシフトした。文言をトレースしていた記者報告(毎日新聞)がある。23日の佐賀県武雄市の街頭演説で「成長」は7回使ったが「分配」の言葉は初めて消えた。野党との差別化を狙う自民党本部の要請だったそうだ。総裁選の眼目だった「令和所得倍増」も「金融所得課税」もとっくに消えている。人の意見に感化され、あっちに流されこっちにユラユラする岸田式漂流処世術のお出ましか。保守岩盤には分配=左派の政策と映るようで、楽天の三木谷浩史社長には「新社会主義だ」とヤユされた。国民生活基礎調査によると、世帯当たり所得分布の中央値は、95年が550万円だったのに、2018年は437万円と100万円以上も下がった。
 他方、金融資産1億円以上の富裕層は年々増えている。コロナ禍があぶり出した格差は世界中で深刻な政治課題となっている。自民は「数十兆円の対策」と言い、何に使うか提示しなかった。立民は「1億総中流社会の復活」を謳い「1000万円以下の人への所得税免除と低所得層への12万円給付」。公明は「高校3年生までの子供に10万円給付」、共産は「減収になった人への10万円給付と消費税率5%への引き下げ」等々掲げた。バラマキのオンパレードである。財源はどうするのか。選挙前、「心あるモノ言う犬」を自称する霞が関の一匹狼犬、矢野康治財務事務次官が吠えた。ワニの口=財政赤字が開きっぱなしになる、と。かつて、ミッチーこと故渡辺美智雄氏は蔵相時代「予算は有限、欲望は無限。財政再建とは心の再建に他ならない」と名言を残した。「モノ言う犬」は選挙後も肩怒らして元気いっぱい吠えまくったらよろしい。ただし「犬も歩けば棒に当たる」ことのないよう気をつけてね。与太を飛ばしている間も、2日後の箱開けが刻々と近づいている。待ち遠しい。