2022年1月 岸田首相が「池田勇人」から学んだノウハウ 

池田勇人元首相の墓は東京・青山霊園にある。墓石には「前内閣総理大臣正二位大勲位池田勇人之慕處」と刻まれている。池田家の墓は他にもあるから、分骨されたのだろう。池田を師と仰ぐ岸田文雄首相がお参りしたことがあるかどうか、定かでない。 戦後最高の首相といえば、古くは吉田茂と相場が決まっていた。
だが池田こそ最も偉大な功績を残した首相、と賛辞を贈る識者は多い。池田の経済政策によって日本は一流の国家へと変貌を遂げたからである。いずれも故人だが、高坂正堯元京大教授は「所得倍増計画は驚くほどの成功をおさめ、国民が豊かな生活を求めて努力するという状況が出現した」、京極純一元東大教授は「池田内閣は経済成長、月給2倍というナショナル・コンセンサスを確立して安保騒動の混乱を収拾した」と評価する。池田は放言も多かったが「私はウソは申しません」と愛嬌たっぷりに切り抜けた。「ディス・インフレという大きな政策の前に、5人や10人の中小企業の業者が倒産し、自殺してもそれはやむを得ない」とは昭和25年(1950年)、蔵相時の発言だ。世間は池田に「ディス・インテリ」とあだ名を付けた。「首相になった時より国税庁長官に就いた時の方がうれしかった」と口を滑らせたら「池田勇人、鬼よりこわい、ニッコリ笑って税をとる」の戯れ歌ができた。「皆さん、私がやる政策は社会党と違います。池田は、3つの卵を4人で分けるようなことはしない。3つの卵は6つに増やす。6つの卵を3人に分けたら3つ余る。余った3つを貯金する。これが経済であります」と巧みなレトリックで経済政策を説明した。「分配か成長か」ではなく「分配も成長も」を過不足なく言い表す。
政敵の浅沼稲次郎社会党委員長が凶刃に倒れた時、自ら国会での追悼演説を買って出た。「沼は演説百姓よ よごれた服にボロカバン きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺。これは浅沼君の友人がうたったものであります」。追悼演説の傑作の一つとして知られ、聞いていた議員らは感涙にむせんだ。政界人がよく口にする「山より大きな猪は出ない」は、実は池田の口癖だ。どうやら言い出しっぺだったらしい。記憶力も抜群だった。特に数字に強く、頭の中には常に石炭、電力、米などの生産量や推移、物価指数などが詰め込まれていた。前尾繁三郎元衆院議長(宏池会2代会長)は「経済問題は抽象的で分かりにくいが、池田さんはそれを正面から政治問題としてクローズアップさせ、数字を使って説明した」と回顧していた。ただ英語には滅法弱く「エチケット」を「エケチット」と発音していたという。池田勇人の人物論につい筆が走り過ぎてしまった。彼を書くことが拙稿の目的ではない。岸田氏は昨年初めから10カ月間、首相になった時に備えて、池田勇人を人知れず研究していた。勉強会の仲間は、宏池会中堅・若手メンバーの木原誠二(官房副長官)、村井英樹(首相補佐官)、小林史明(デジタル副大臣)の各氏である。
なぜ今、池田勇人なのか。宏池会の創立者で広島の偉大な先達という理由だけではない。岸田氏の脳裏に去来していたのは、岸信介→安倍晋三、池田勇人→岸田文雄という継承が念頭にあった。このベクトルは奇しくも「時代の風」に符合していた。池田研究から学んだノウハウを現実政治にどう反映させるか、それを骨の髄まで叩きこませようと研究にのめり込んだ。 池田は60年7月、日米安保条約をめぐる混乱で退陣した岸の後を継いで首相に就いた。イデオロギー過剰の岸政治で、頭に血が上っていた国民を「寛容と忍耐」という低姿勢で徐々に経済主導の政治へと転換していった。いつの間にか日本社会を「政治の季節」から「経済の時代」へ変えたのである。池田がまず何をやったかと言うと、岸の「裏返し」をやった。政治手法、スタイルを変えた。これによって国民は「高血圧」を平常値に戻せたのである。何となく、今の政治状況と似通っていないだろうか。安倍氏は憲法改正を至上命題に置き、主義主張を優先させる政治家だ。▶︎

 

▶︎岸田氏は政治家としての安倍氏を否定しているわけではないが、安倍スタイルを変更することに傾注している。これが池田研究から学びとった「降圧剤」だった。安倍氏とは違う、菅義偉氏とも違う、というイメージの刷り込みは絶大な薬効となっている。政権発足100日を過ぎてもこれといった実績があるわけではない。 でも内閣支持率は高い。尻上がりの高値安定だ。言っちゃなんだが、菅義偉政権とは真逆である。
前政権は発足後、矢継ぎ早に温めていた政策を実現した。しかし、政治スタイルが絶望的にひどかった。支持率は尻下がりとなった。コロナ対策も岸田政権の方が優れているわけでない。オミクロン株のまん延で感染者は過去最多を記録、まん延防止措置は34都道府県に及ぶ。菅氏が首相なら袋叩きに遭っていただろう。なのに、岸田氏の支持率はそれほど落ちない。この要因は、彼我の政治スタイルをめぐる国民の好悪感しか考えられない。安倍・菅政治とは何かが違う、どこか変わった、という感じを国民に植え付けているからに違いない。岸田氏は池田ほど器が大きくない。唯一、似ていると言えるのは、池田は旧制第一高等学校を受験して2回失敗、五高から京大に行った。岸田氏は開成高校から東大を受けて3回はねられ、早稲田大に入った。共に若い時に挫折を経験している。似ているのはそこだけで、発想力、直観力では力量差がある。池田政権発足時、秘書の伊藤昌也が「総理になったら何をなさいますか」と尋ねたら「経済政策しかないじゃないか。所得倍増でいくんだ」と即答している。「経済の池田」をマネしてみたかったのか、岸田氏は「新しい資本主義」を標榜する。これが生煮えで食えない。「新しい」と言うからには、これまでの資本主義は「古い」のか。レッテルを貼って嬉々としている風情でもあり、いまだ「新しい中身」を提示できていない。エコノミストからは「資本主義の何たるかも分かっていない」とケチョンケチョンだ。吉崎達彦双日総研チーフエコノミストは、「国民に『愛される』岸田首相が市場に嫌われるワケ」(東洋経済オンライン)と題して、以下のような論(要旨、敬称略)を展開している。「岸田のマーケット評価はサッパリだ。安倍・菅は何より株価を気にかけてくれた。岸田は株式市場が嫌がるアイデアを口にする。最初は金融所得税、次いで四半期決算の見直し。『新しい資本主義』というスローガンも何を目指しているのかよくわからない。その一方で、成長戦略の具体策として出てくるのは、デジタル、5G、マイナンバーカード、経済安全保障など相変わらずの項目ばかり。『新しい資本主義』とか『成長と分配の好循環』といったお題目はいわば祝詞(のりと)のようなものだ。
私見を言うと、資本主義とは誰かが考案した思想体系、いわば『イズム』ではない。時代に合わせて株主重視型になったり公益重視型になったりする。融通無碍に変化してしぶとく生き残ってきた。逆に社会主義のような人の思考による『イズム』は環境変化に追いつけず失敗に終わってきたというのが歴史の教えるところだ」。
ちょっと長い引用になったが、岸田氏にも読ませたいくらだ。国民受けする政治スタイルだけで高い支持率を維持できるとは到底思えない。池田が言っていたように、政治は結果である。実績、それもスモール・イシューではなく後世の史家が評価するようなレジェンドを作って初めて池田勇人クラスに仲間入りできる。いつまでも祝詞を唱える神主さんのままだったら、国民もうんざりする。その辺は、切れ者揃いの首相周辺も分かっていて「岸田さんは今、政治キャピタルを積み上げている途上だ。それが積み上がったらどう使うかは次のステージ。7月参院選までにその作業を終えて、衆参ネジレを回避できたら、積み上げたものを岸田政策として放出する」と、先を見ている。乞うご期待、といったところなのか。