世界はロシアのウクライナ侵攻で騒擾の極みである。成り行きは大いに気になる。ただ、この問題は今少し展開を見てから別の機会に論じたい。本欄では、彼我を比較してマイクロ・イシューのそしりは甘んじて受けるが国内政治に焦点を絞る。 バタフライ効果というのは「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」という洒落た問いかけに由来する。気象学者エドワード・ローレンツの講演表題だという。ほんの些細なことが時間の経過で大きな変化をもたらすたとえに用いられる。いったん表舞台から退場した菅義偉前首相が今、再登場の機をうかがっている。周囲にけしかける人がいて、本人もまんざらではなさそうだ。まさか首相への「アイ・シャル・リターン」はないだろうが、派閥結成のアドバルーンは上がる。裏舞台で動いているのは、菅氏と初当選同期の佐藤勉前総務会長だ。こう言っちゃ何だが、佐藤氏は華々しい政治経歴があるわけでない。閣僚経験は特命担当相(沖縄・北方対策や地方分権改革)や鳩山邦夫総務相辞任に伴う総務相兼務などである。茨城県議から中央政界入りした。菅氏の盟友と称される二階俊博元幹事長、森山裕前国対委員長、林幹雄前幹事長代理らは皆市議や県議から国政入りした似た者同士だ。雑巾がけからたたき上げた経歴が「類が友を呼ぶ」のか、地盤、看板、カバンを引き継いだ2世、3世議員を半ば軽蔑していることで自然と結集するのか。佐藤氏は菅政権で党三役の一角に抜擢された。永田町の住人は「佐藤って、どのサトウだ」と驚いた。佐藤氏は、菅氏の思いがけない「蝶の羽ばたき」に恩義を感じ、忠誠でお返しする。
昨年の自民党総裁選に出馬表明した岸田文雄首相が党役員の任期を「1期1年、連続3期まで」と打ち出した際、敢然と「いかがなものか」と対抗、菅、二階両氏を支え続けた。麻生太郎副総裁が率いる派閥麻生派(志公会)の会長代理を務めていたが25日、仲間4人と退会した。菅氏と行動を共にし、同志を募って「菅派」旗揚げまでもって行けるのか、永田町ウォッチャーの耳目を集めている。一連の経緯をバタフライ効果理論でまとめると以下のようになる。菅氏が一昨年佐藤氏を登用するという予想外の蝶の羽ばたき、否、もっとさかのぼり初当選が一緒で経歴も似ているという偶然性が最初のささやかな羽ばたきかもしれない。この空気の微動は、時を経て気象変化を起こすほどの低気圧となり、今永田町に竜巻か台風をもたらしかねないほどに発達した、と言えなくもない。ちょっと牽強付会かな。菅政権当時、菅周辺にいた人たちと話していると、まだ人口に膾炙していない事実として「菅氏は義理人情の男だ」と口を揃える。例えば、だれかが「あなたしか頼る人がいない」と泣きついてくると、菅氏は情にほだされるのか、意気に感じるのか、何とかしてあげるタイプだという。
まるでヤクザ映画の高倉健である。菅氏を支持する無派閥衆院議員のグループ「ガネーシャの会」(15人)は他に頼るところがなく菅氏にすり寄るしかなかったというのが実態だ、と言い切る人もいる。その「ガネーシャの会」が、安倍晋三元首相から「とにかく結束力が強く、菅さんが派閥を作ろうとすればすぐにでもできる」とおだてられるのだから、何とも皮肉な話だ。菅内閣の致命的ミスは、永田町ウォッチャーのほとんどが指摘するように、官房長官時代の秘書官をそのまま首相秘書官に持ち上げたことだ。本省に戻れば課長クラスの首相秘書官が次官、局長に向かって「首相の指示です」と言い放つことは難しい。主要省庁幹部人事を全て握っていたはずの菅氏は、ヒエラルキーが幅を利かす霞が関風土を理解していなかったようだ。結局、菅首相秘書官の仕事は答弁メモ作成だけとなり、首相ご自身が根回しから日曜大工までして奮闘し「家」を一人で作り上げなければならなかった。休養など取れるはずがない。世間が休む土、日に議員宿舎から首相公邸に潜り込んで官僚を呼びつけ、ブリーフを強要する。説明が不十分なら、怒鳴りつける。それでも最後に納得が行けば「ありがとう、よく分かった。休日なのに来てくれて助かったよ」とねぎらいの声を掛ける。これが「菅流」官僚操作術だった。荒っぽい対応をされても官僚の中に菅ファンは結構多い。安倍氏が看破していたように「菅内閣には菅官房長官がいない」ことが最後まで政権の首を絞めた。▶︎
▶︎今回も俳句である。「我宿に一夜たのむぞ蚊喰鳥(かくいどり)」――。熟睡できるように蚊を食べる「益鳥」に願いを掛けた小林一茶の句である。実は蚊喰鳥とは鳥ではなく哺乳類のコウモリのことだ。人の本性も、物事の現象も、実相を見間違うことはしばしば起きる。「聞く人」岸田氏の実相はどうなのか。「頑固者」「根っこからの保守」「リアリストの塊」と周辺は証言する。ソフト感触おじさんをイメージする世間の評判と随分違う。岸田氏が率いる宏池会(岸田派)は党内きってのリベラル集団と言われる。創立者の池田勇人以来「軽武装、経済主義」が旗印だ。その宏池会DNAを継承してきたのが古賀誠前会長(元幹事長)までで、受け継がなかったのが岸田氏である。岸田氏の考え方があまりに右寄り過ぎるので古賀氏は岸田氏を嫌ったとされる。政権発足以来、憲法改正に賭ける岸田氏の前のめりは、安倍政権時代より深い前傾姿勢なので合点が行く。佐渡金山の世界遺産推薦申請では、韓国の横やりを無視せよ、という安倍助言に従ったという型通りの解説があるが、側近は「首相自身の決断だ」と断言したうえ「外相時代からホンモノの嫌韓論者」と打ち明ける。宏池会関係者は「安倍氏に負けず劣らずの筋金入り保守だ」と言う。また、リアリスト故に、政局より政策を優先する。麻生氏が画策する「大宏池会」構想の成就よりも、首相として成し遂げたいことを実行するために今どうするか、に腐心する。その点は「チーム岸田」が働きやすい環境となっている。頑固さについては、オミクロン株感染の急拡大で緊急事態宣言不可避説がある中で、岸田氏は小池百合子都知事にせっつかれようと「宣言発出はしない」という姿勢を譲らない。頑固一徹は棒を飲み込んだ硬直につながりかねないが、ワクチン3回接種加速と経済活動再開の両輪作戦は矛盾しないという信念を崩さない。
とはいえ、岸田内閣支持率は低落傾向にある。直近のメディア8社の平均は、支持52.45%、不支持30.85%だ。昨年末の調査結果に比べ、支持で4.55ポイント下がり、不支持が5.05ポイント増えた。岸田内閣はこれまで特筆すべきことは何もやっていないし、これといった失策もない。下落はオミクロン株感染者の高止まりが要因だろう。無作為抽出による世論調査ではなく、対象を市場関係者や投資家に絞った場合、岸田支持は底を這う数字となる。日経CNBCがチャンネル視聴者を対象に行った調査(1月27日~31日実施)で「あなたは岸田政権を支持しますか」の問いに「はい」と答えたのはたったの3%だった。日経CNBCはマーケットや経済を題材とする番組を流す有料チャンネルで、実際に投資にかかわっている視聴者が多い。
経済評論家の山崎元氏は、株式市場が「岸田リスク」と思っているのは①税制②新しい資本主義③金融政策転換、の3つだと指摘。新しい資本主義については「中身が伴わないけれども気持ちのいい言葉を発するのは、首相官邸の風土病なのかもしれない。『美しい国』くらいなら嗤っていればよかったが『新しい資本主義』はしばしば株価や経済にとってリスク要因になるから厄介だ」(東洋経済オンライン)と痛罵する。そのうえで新資本主義の命運を「迷走して、そのつど株式市場に嫌われながら方針を撤回して、時間の空費に終わる」と予想している。欧米で古典的ロングセラーになっているロバート・フルガムの『人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(日本語訳は河出文庫)という長いタイトルの著書がある。折々での所感を綴ったエッセイ集だ。岸田政権の離陸は順調だったが、年が明けてみると巡航飛行とは必ずしも言い難いようだ。先の航路には、読めない国際情勢、評判が良くない経済政策、参院選での自公連携のほころび、党内勢力図の異変など「気流変化」が待ち構える。岸田機長の航空機は今、最初のエア・ポケットに突っ込み「首相の職務って結構大変だなあ」と再認識する「幼稚園の砂場」にいるのかもしれない。