2022年9月 「菅氏弔辞」から想い馳せる秋の落葉    

国論を二分させたまま安倍晋三元首相の国葬儀が9月27日、日本武道館で行われた。国内外から当初見込みより減って4200人が参列した。
日本テレビ製作の映像を一部始終見る。敵と味方を峻別し、敵を徹底的に押さえ込んだ安倍氏の政治姿勢は死してなお尾を引いている。比較的保守色の強い日テレでさえ、賛否の両派に配慮した番組作りが随所に感じられた。女王エリザベス2世の国葬と比較してはいけないと頭で分かっていても、国葬儀は良く言って規模の大きな「お別れ会」、意地悪く言う人なら「国葬偽」と茶化すかもしれない。葬儀委員長の岸田文雄首相の型通りの弔辞より、友人代表の菅義偉前首相の追悼の辞が心に沁みたと言う人が多い。口下手と言われてきた菅氏が想定外のパフォーマンスを見せた。2012年銀座の焼き鳥屋で、下野していた自民党再生のため、持病を理由に渋る安倍氏を3時間も口説いて総裁選出馬を納得させたエピソードを披歴する。「私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います」と朴訥な口調で語ると、会場から嗚咽が漏れる。ネット上では「焼き鳥屋」がトレンドワードになる。安倍氏読みかけの岡義武著「山県有朋」(岩波書店)が議員会館安倍事務所の机に置いてあったという。端を折ったページに、山県が長年の盟友で凶弾に倒れた伊藤博文を偲んで詠んだ和歌「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」にマーカーペンで線が引いてあったことを紹介し「この歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」とむせんだ。岸田挨拶で涙を見せなかった昭恵夫人も万感の思いに眼を拭う。おそらく何度も推敲を重ねたであろう菅弔辞こそ国葬儀の白眉で会場から異例の拍手が起きた。これがなかったらセレモニーは気の抜けたサイダーになっていた。がしかし、筆者はこの件りに疑念を持っている、とだけ指摘しておこう。安倍氏の政治的評価はいまだ定まっていない。
国葬儀がちょうどいい節目になったので、岸田氏が国葬理由の一つに挙げた「卓越した業績」を手前勝手に評定してみたい。物事には表と裏がある。どちらから見るかで評価は異なる。「一番手の横を伴走するのでなく、二番手に付けろ」をジャーナリストの信条とする筆者としては、政治の私物化とも言える不祥事を含め、大企業の利益や株価重視の経済政策で社会分断や貧富の格差を深めた安倍政治の「負の側面」から眺めたい誘惑にどうしても駆られる。前例踏襲や縦割り行政に縛られた官僚機構にくさびを打ち込んだ点は評価したい。有権者の付託を受けた政治家が行政の主導権を取り戻した。官房長官に突破力のある菅氏を据え、情報収集に長けた警察官僚や市場に敏感な経産省官僚を重用する。内閣人事局を新設し各省の幹部人事を握る「官邸主導」体制を築く。行政へのグリップ力は確かに強化されたが、立法府である国会で挑発的な口調や高をくくった安倍流答弁に反発を覚えた人は多い。強行採決も多用した。その最たるものは、憲法解釈を閣議決定だけで反転させ、他国の戦争に加われる「集団的自衛権の行使」に道を開いた安全保障関連法である。是非は後世の歴史家が評価を下すだろう。
アベノミクスと名付けた経済政策は企業家が評価する一方で、「アホノミクス」とこき下ろす経済学者もいる。日銀総裁に「異次元」と称する金融緩和を誘導し企業を潤わせた。大企業の業績は拡大し株価が上がった。短期的対策としては有効だったかもしれないが、富が賃金や消費に回る好循環に至らないまま緩和を続けた結果、副作用が出る。急激な円安は物価高につながり、暮らしを圧迫している。日銀が買い入れた国債は500兆円を超えた。事実上、政府の借金を日銀が穴埋めしている形は果たして財政規律と言えるのか。アベノミクスが市場や財政をゆがめ、長期的には日本経済を弱らせた面は否めない。▶︎ 

▶︎安倍外交は日米同盟を重視しながらインドなどと関係を深め国際社会で一定の存在感を示した。ただ悲願の北方領土交渉ではプーチン露大統領に振り回される。北朝鮮の拉致問題も進展しなかった。森友学園、加計学園、桜を見る会といった一連の問題は十分な説明がないまま安倍政治の「闇」として残された。森友をめぐる公文書書き換えで財務省職員が命を絶ったのは「官僚の忖度」だけで片付けていいのか。死去後に浮上した旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との蜜月関係も深い闇である。教団票の窓口になったことが、教団の反社会的な活動にお墨付きを与えたとされ「安倍国葬」への反発エンジンとなった。
今、功罪半ばする安倍政治をどう乗り終えるかが岸田氏に問われている。なのに「安倍政治の踏襲」を主眼目に置き、国葬儀で官僚が作ったと思われる弔辞を読み上げ「勇気の人」と定型的文言でお茶を濁す姿勢には熱量が感じられない。安倍氏の手法は、いわば安倍氏による個人技だ。岸田氏がマネしようとしても通じない。古本屋で見つけた漫才作家、秋田実氏の著書「大阪笑話史」(編集工房ノア)によると、漫才の笑わせ方には基本型があるという。誇張、勘違い、矛盾、屁理屈、こじつけなど。
例えば「私は夜3時まで働き、朝は3時に起きて働く」。それじゃ、いつ寝るの?そんなやり取りで客を「ようあんなこと言いはるわ」と呆れさせ、笑わせる。岸田氏は「説明不十分との批判を受け止め、丁寧に説明する」と言いながら、不十分な説明を繰り返す。政界にも、矛盾、屁理屈、こじつけがまかり通っていないか。10月3日から臨時国会が始まる。ちなみにこの日は仏滅で、翌4日は岸田政権発足から1周年になる。円安や物価高、国葬の是非論争、旧統一教会問題が重くのしかかっている。この1年で岸田政権は「何をしなくてもうまくいった」状況から「何をやってもうまくいかない」レベルに様変わりした。これに強い危機感を抱いている一人が、自民党本部の元宿仁事務総長だ。苦学力行の事務方のトップで、田中角栄氏以来22人の総裁に仕える。趣味の油絵はプロ級、戦後間もない冬の夜兄弟4人で隣家に「もらい湯」に行った帰り道を描いた絵は永田町の隠れた「名画」だ。経理畑一筋、党政治資金の隅から隅まで知るため「自民党の金庫番」の異名もある。7月28日の晩、岸田氏は赤坂の料亭「浅田」に元宿氏を招く。酒豪の2人は酒を酌み交わしながら談論風発2時間に及ぶ。辞職の意向を漏らした元宿氏に岸田氏は「今後も私を支えてほしい」と頭を下げる。お盆明けにコロナ感染で身動きの取れない岸田氏に、元宿氏は携帯電話で連絡を取る。「統一教会問題は非常に厄介です。総理が直接指示しないと事態は動かない。アンケート調査の質問項目も作成済みです。総理から幹事長に直接指示してください」と懇請する。翌日岸田氏は「もう一段踏み込んだ対応を進める」と表明。自民党は一転して全議員を対象に調査に踏み切り、31日の記者会見で「総裁としてお詫びする」と陳謝、教団とは「絶縁する」と言い切った。
ところが、調査回答の「後出し」が続き、肝心の安倍氏や細田博之衆院議長への調査は死亡や党籍離脱を理由に不問に付された。大阪漫才の基本形「矛盾」「こじつけ」に掠っているが笑えない。長年にわたり旧統一教会被害者の弁護・救済してきた郷路征記弁護士(霊感商法弁護団共同代表)は「統一教会員にとって、安倍元首相は霊界で生きており、地上におけるサタンの勢力との戦いに、天から助けてくれる人として位置付けられる」と指摘する。旧統一教会問題は、複雑にシコッタまま国会論戦を迎える。菅流弔辞に倣うなら「季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる」秋風が肌をなでるようになった。残暑が収まると、懐かしい詩の一説が思い浮かぶ。「秋の日の (ヴィ)オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」。フランスの詩人ベルレーヌの詩を訳した上田敏の「落葉」は秋の哀感を繊細に詠う。ヴァイオリンの音がもの悲しく聴こえ、暗~い気持ちになる。俺はあちこちに舞っている落葉みたいなものだな――。岸田氏の心象風景を映し出したものでないことを願いたい。