何はともあれ、この話題から書き起こさなければ気が済まない。コロナ感染は沈静化に向かっているのに、日本中が発熱、熱狂した。侍ジャパンがWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、メジャーリーグ選手主体の米国チームを破って世界1に輝いた。大谷翔平が最後の打者、同僚のマイク・トラウトを三振で討ち取った時、恥ずかしながら涙ぐんだ。貴乃花が負傷を抱えながら優勝決定戦で武蔵丸を投げ飛ばし、小泉純一郎元首相が発した「感動した」を思い起こした。半世紀前まで、日本は経済一流、政治は三流と言われていた。今や経済も政治も先端技術も何もかも周回遅れだ。
でも、まだ「世界1」となる分野が残っていた。心奮え、溜飲が下がった。準決勝メキシコ戦の始球式は、日米で活躍した松坂大輔が務めた。準決勝での劇的サヨナラ勝ち、決勝戦では大谷が最後を締め日本中が湧きたっていたちょうどその頃、岸田文雄首相は訪問先のインドから隠密行動でウクライナに向かい、ゼレンスキー大統領と会談していた。今回のテーマは、世界で大ヒットしたトム・クルーズ演じる米スパイアクション映画「ミッション:インポッシブル」まがいの緊迫した首相ウクライナ行の舞台裏を覗き見ることだ。(以下の描写は筆者の取材メモが大半だが、報道各社の検証報道もつまみ食いした)。《場面Ⅰ・永田町》 岸田首相は何が何でも5月のG7広島サミット前にウクライナを訪れなければならなかった。国力から言うと世界の小国に過ぎないウクライナ大統領の一挙手一投足が国際ニュースとなる。欧米各国首脳の支援合戦を促すほどの影響力だ。「小が大を食う」英雄譚は歴史を振り返ってもない。ロシアのウクライナ侵攻後、ゼレンスキー氏は「小さな巨人」に変身、プーチン大統領は「大きな小人」に変貌した。Tシャツ姿で節目に軍事支援を求める演説は世界中のテレビ局が発信し続ける。G7広島サミットの主要テーマはウクライナ支援である。G7首脳でキーウを訪れていないのは岸田氏だけとなった。
しかも今年は議長国。国際社会における日本のプレゼンスから言っても、もはや外せない外交課題となっていた。だが、日本のリーダーが戦地に赴くのはインポッシブル(不可能な)ミッション(任務)だった。最大のハードルは、秘密保持と身の安全。岸田氏は「漏れたら、即刻中止だ」と周辺に何度も釘を刺した。計画が浮上しては消える事を数回繰り返した。2月下旬、岸田氏は歴訪先となるインドからウクライナへ直行するしか保秘手段がないと決断する。首相官邸スタッフでこの決意を明かされたのは、嶋田隆首相首席秘者官、秋葉剛男国家安全保障局長、木原誠二官房副長官の3人だけである。「厳秘、身内にも言うな」と言い渡された。ロジスティクスを担当する外務省の森健良次官には「保秘の徹底ができないなら、外務省はいらねえ」と一喝する。詳細な行程表やロジは山田重夫外務審議官(政務)が練り上げた。隠密計画の全体像から細部まで一部始終を把握していたのは政府内で山田氏だけである。首相の身辺警護はポーランドやウクライナの各政府機関に頼んだ。精緻を極めた山田氏作成の隠密プランに首相のゴーサインが出たのは3月10日ごろだ。実際に同行した人物でさえ次の行先は直前になって知らされた。ちなみに山田氏は次期外務次官の最有力候補と目されている。同行チームは10人。木原、嶋田、秋葉、山田各氏のほか、外務省から出向の大鶴哲也首相秘書官、藤本健太郎総合外交政策局総務課長、同課職員のロジ担当、医務官、公式カメラマン、SPである。有事の際、避難シェルターに収容できるギリギリの人数に絞った。隠密行動を貫くためのネックの一つが、慣例となっている首相外遊の国会事前承認である。厄介な関門だった。この関係者周辺からリークされるケースが多いからだ。
一般論としての打診に立憲民主党は「情報を秘匿して対応せざるを得ないことは理解する」(泉建太代表)、「国会へは事後報告でいい」(安住淳国対委員長)と“大人”の対応を見せた。第1ハードルは何とかクリアできた。《場面Ⅱ・ニューデリーのタージパレスホテル》 現地の20日夜、ニューデリーは雷雨が地面を叩きつけていた。政府関係者はモディ首相との会談、現地日本企業の夕食会を終え、午後7時ごろ宿泊先のタージパレスホテルに着く。岸田氏は外務省職員が執務する部屋に顔を出し「ご苦労さんだね」とねぎらい、エレベーターでスイートの自室に行きソファーに体をうずめた。それから約30分後、ホテル内のプレスルームで同行記者団は外務省担当者から日印首脳会談のブリーフィングを受ける。記者にさとられずにホテルを抜け出すのはこの機会を逃がしてはない。「今からウクライナに行きます。誰にも言わず準備してください」。選ばれた10人は午後8時前、ホテルの資材搬入用エレベーターに乗り込み、複数ある裏口の一つから外に出た。背広姿の一団は、篠突く雨の中を用意された小型バスに小走りで飛び込んだ。乗り込んだ直後、バスの車中に緊張が走る。車窓から、ホテルを出てきた日本人3人が傘を片手に当たりを見回したからだ。記者なのか、見つかったら綿密に練った計画も水泡に帰す。▶︎
▶︎だが、バスの中に首相がいると気付いた様子はなかった。ホッと安堵のため息が漏れる。小型バスはすし詰め状態だが文句厳禁だ。土砂降りの雨の中を交通渋滞にも巻き込まれ、40分かけてパラム空軍基地に着く。事前に全日空が手配していたカナダ・ボンバルディア社製のビジネスジェット機「グローバル7500」(乗客定員12人)が待機していた。一行はこれに乗り換え、ポーランドに向け離陸した。同行記者団は置いてきぼりを食らった。ビジネスジェット機がテイク・オフしてから約3時間後、置き去りにされた記者団と何も知らされていなかった政府関係者らは政府専用機で帰国の途につく。専用機が羽田に着いてから、首相がタラップを降りて来ないので「やられた」と気付いた記者もいたらしい。《場面Ⅲ・ポーランド南東部》 航路や飛行データを公開する民間インターネットサイト「フライトレーダー24」によると、ビジネスジェット機はインドを北上したあとカスピ海や黒海の上空を通過して現地時間の21日午後11時41分、ポーランド南東部ジェシュフのジャシオンカ空港に着陸した。ニューデリーのホテルを抜け出してから8時間余経っていた。一行は車に乗り換え、1時間半かけてウクライナ国境に近いプシェミシル駅に到着する。現地時間22日未明だ。駅には、先乗りしていた外務省の中込正志欧州局長、近藤紀文中東欧課長、松平翔通訳官が待機しており、一行と合流する。
ところが、ここで報道陣も待ち構えていた。どこで察知したのか、NHKと日本テレビの取材班が列車に乗り込む一行の姿を撮影した。その映像とともに「首相ウクライナへ」が速報される。WBC準決勝戦で、それまで不振に喘いでいた村上宗隆選手がサヨナラ二塁打を放った歓喜の場面にかぶってテロップが流れた。情報を察知したロシアがどう出るか、肝を冷やした関係者は多い。誰が機密を漏らしたのだろう。同行した一人は「日本国内は鉄壁とも言える情報管理態勢を敷いたので、まず考えられない」。可能性として、アテンドや警護を依頼したポーランドかウクライナ、あるいは米国を挙げる。現地の戦況に関する情報は米国から提供を受けていたので一行の全行動を米側は把握していた。いずれにせよ、裏の取れる話ではない。NHKは政府専用機の3時間前に羽田からインドへ飛び発つビジネスジェット機まで撮っていた。NHKはこのジェット機を民間ネットサイト「フライトレーダー24」で追跡していたのか。
ただ、一行にとってキーウ到着前に全てが明るみになるのは織り込み済みだった。なぜなら、インドからポーランド空港まで8時間、そこから陸路で1時間半かけて駅に着き、特別列車に乗り換えて10時間でキーウに着く。計19~20時間の旅程だ。ニューデリーから東京までは8時間のフライトである。一行がキーウに着く前に記者団が異変に気付くのは想定内のことだった。行程の中で最もリスクが高かったのは、10時間に及ぶ列車移動だ。深夜に走る特別仕立ての列車には、岸田氏用のベッドが用意された。他の人は寝台車の小さなスペースでまどろむしかなかった。全員のスマホ、携帯電話は回収され、電波を完全遮断する「シールドボックス」に収納されていた。ロシア軍がGPSによる位置情報から列車を巡航ミサイルや自爆型ドローンで攻撃するのを避けるためだ。この辺りの描写は、米CIA元職員でロシアに亡命したエドワード・スノーデンの実話映画に出てくるシーンが思い浮かぶ。スノーデンがホテルの部屋に入るなり、冷蔵庫に携帯電話を放り込み、廊下に通じるドアのすき間にはバスタオルを詰める場面だ。特別列車はロシア軍のミサイル攻撃を警戒し、速度に緩急をつけ、時には停車することもあった。キーウ中央駅に着いたのは現地の21日正午ごろ、ウクライナのシャパロワ第1外務次官、松田邦紀駐ウ大使らが出迎えた。岸田氏の真後ろに張り付いた警護員は屈強なウクライナ兵士だ。自動小銃のトリガーは常に右手人差し指がかかっていた。警護要員らは、英国の特殊空挺部隊(SAS)で訓練を受けたプロフェッショナルである。この後のゼレンスキー大統領との首脳会談や虐殺が行われたブチャ視察は、各メディアで既報済みだ。小欄では割愛させていただく。《場面Ⅳ・神田神保町のインサイドライン編集部》 筆者は昨年後半から約半年間、首相のウクライナ訪問時期を狙っていた。最重要の取材テーマにした。直近に決め打ちしたシナリオは、来年度予算成立後の3月31日出発である。これを出し抜いた電撃作戦は「お見事」と唸るしかない。第一報に接した時、脳裏に浮かんだのは「裏をかかれた」という思いだ。「裏をかかれた」には「騙された」「やられた」と悔しがるニュアンスがある。でも、そういう感じは一切湧いてこなかった。柔道で対戦相手の背負い投げが見事に決まって一本負けした清々しい「やられた」感だった。
裏の裏をかく、という言い方もある。ジャンケンで相手が「チョキを出すよ」と言ってわざとフェイントをかけてくる。それを聞いた私は「チョキを出すとかましておいて、パーを出してくるのでは」と予想し、チョキを出した。しかし、相手はグーを出して私は負けてしまう。岸田官邸と外務省は機密管理とフェイントモーションの駆け引きで筆者とのジャンケンに完勝した。実を言うと、筆者は15日昼に外務省幹部から訪印日程を取材していた。彼が言うには、19日深夜に羽田から政府専用機で発ち、20日午後(現地時間)モディ首相と首脳会談、その後トンボ帰りで21日(春分の日)夕に羽田に帰る。0泊3日の強行軍で、22日の参院予算委に間に合わせる。長い付き合いの人だったのでこの話を信じた。ところが、敵もさる者引っ掻くもの、まんまと陽動作戦に引っかかった。いや、待てよ。そうでないことも考えられる。外務省の中枢にいる幹部でさえ隠密計画を事前に知らされていなかったかもしれないのだ。《場面Ⅴ》 フェイドアウトしたスクリーンに「終」が浮かび上がる。