38915。古い経済記者ならそらんじている数字だ。バブル経済真っ盛りの1989年、東証大納会で付けた日経平均株価の過去最高値である。それから34年2カ月を経た2月22日、史上最高値を更新した。大納会や大発会のご祝儀相場でない。通常取引のザラ場で超えた。証券会社のトレーディングルームは「オー」とどよめきが起こったという。株式市場が、はるかに見上げていたバブル期のピークにたどり着いた瞬間である。野球で例えるなら、大谷翔平が9回裏、逆転満塁ホームランを打った興奮ぶりと一緒だ。ピークへ長い道のりだった。バブル崩壊後の90年代後半、山一証券の自主廃業など金融危機に見舞われ、経済は物価と賃金が縮小した。2008年のリーマンショックが追い打ちとなり、日経平均は09年3月にバブル後最安値の7054円まで沈んだ。岸田文雄首相は史上最高値を付けた22日夜、自身の経済政策を列挙したうえで「日本経済が動き出している。国内外の市場関係者が評価していることは心強いし力強さを感じる」と喜んだ。思い起こせば、アベノミクスの安倍晋三政権時、官邸スタッフは口を開けば「株価、株価」と叫び、高い株価で内閣支持率を維持していた。それでも到達できなかった「38915」だ。それが経済にあまり強いとも思われない岸田氏が軽々と超えたのは「皮肉」としか言いようがない。世界で最も値上がりしている日本株の比率を高めようとする外国人投資家、新NISAブームに背中を押される日本人の個人投資家、自社株買いに走る企業、インフレの定着と金利上昇で日本国債の投資比率引き下げを余儀なくされる機関投資家、全ての投資主体が「乗り遅れるな」と日本株に向かう。株価大フィーバーはまだまだ続きそうだ。市場関係者は「スケールの違う相場に突入している。最高値更新の達成感で失速するのではなく、この勢いのまま4万円を超え、その先も見据えている」と予測する。岸田政権にとっては、この半年間で唯一の明るい材料である。自民党内には、株高が続けば、岸田氏は衆院解散に踏み切るのではないかという見方がある。定額減税やボーナスが重なる6月を狙っているという見立てだ。
ただ、これほどの株高でも内閣支持率が低迷しているのは不思議である。直近の大手新聞社の世論調査で、内閣支持率は読売、朝日、毎日、産経、日経が10%台~20%台前半で喘いでいる。注目されるのは、5社の調査で「青木率=内閣支持率+自民党支持率」が4社で50%を下回り、日経がギリギリ50%だったことと、自民党支持率が前月比6Pも下落したことだ。指標だけ見ると、岸田氏は困難な政権運営に直面している。株高と低支持率、このアイロニーは一体何なのか。自民党の裏金事件が岸田氏の足を引っぱっている。
裏金事件は、平たく言えばルールを作る人間がルールを破ったことだ。その辺を解明する衆院の政治倫理審査会は、公開のあり方を巡って与野党が対立し、予定されていた28日の開催が流れた。「政治とカネ」国会は、政倫審での人選や公開の是非について、与野党の攻防が繰り広げられた。背景には、2024年度予算案の衆院通過をにらんだ駆け引きがある。人選は、安倍、二階両派の事務総長経験者5氏の出席で結着する。だが、公開形式でもめた。与党はテレビ中継を認めず、撮影は審査会の冒頭のみとした。野党は完全中継を求めて譲らない。この展開にしびれを切らした岸田氏は28日「党総裁として自ら(政倫審に)出席し、マスコミオープンのもとで説明責任を果たさせていただきたい」と記者団に語った。歌舞伎で言うなら、派閥解消宣言に続く2度目の「見得」を切った。出席する理由について「今の状況のままでは、国民の政治に対する信頼を損ね、政治不信がますます深刻になってしまう」と、口上も「重厚」である。率先して渋滞解消に動いた形だ。
大向こうからわずかながらも「岸田屋!」の声がかかった。岸田氏の「見得」を引き金に、政倫審は29~3月1日の開催、フルオープンで与野党が折り合った。当初、野党側は予算の年度内成立を阻止すれば、能登半島地震の救済措置が遅れて国民の批判を受けるとの判断もあって、日程協議で柔軟姿勢を示した。①26日に衆院予算委集中審議②28、29日の政倫審開催③29日予算委中央公聴会――のスケジュールで固まった。与党はこれを基に3月1日の予算委締めくくり質疑・採択で予算の年度内成立確定を目指すつもりだった。憲法の規定で、予算案は3月2日までに衆院を通過すれば、参院で採択されなくても送付後30日で自然成立する。▶︎
▶︎一方、野党内には伝統的に、予算の自然成立確定は野党の敗北、という考えがある。このため、自民党内にも、強引にことを進めるより、参院での審議促進を条件に、3月4日衆院通過で野党に花を持たせた方が無難、という意見がある。政倫審の公開方式のゴタゴタでエンストし、予定の日程はリセットとなった。予算の年度内成立には窮屈な日程となりそうだ。野党は、政倫審への出席を申し出ていない自民の二階俊博元幹事長、下村博文元文科相、萩生田光一前政調会長の参考人招致を要求し、ギア・アップする戦術も手元に残している。
国会でのジャブの応酬を脇に置く。岸田政権下で衆院の解散・総選挙は果たしてあるのか。今年最大の政治テーマに移りたい。その前に岸田氏にはハードルが待ち受けている。4月28日投開票の衆院3補選である。裏金事件で谷川弥一氏が議員辞職した長崎3区▽東京・江東区長選をめぐる公選法違反事件で柿沢未途被告が辞職した東京15区▽細田博之前衆院議長の死去による島根1区。これをクリアしなければ、次の展望が見えてこない。長崎は次期衆院選の選挙区定数が1減となるため、仮に補選で勝利したとしても、すでに現職がいる他の選挙区との調整が必要になる。自民党には「候補者を出さなくていい」との声が強い。不戦敗となりそうだ。東京15区は、カジノを含む統合型リゾート(IR)事業を巡る汚職事件で現職(自民離党)が実刑判決を受けたいわく付きの選挙区だ。茂木敏充自民党幹事長は「(長崎と東京の)二つ不戦敗はありえない」として候補を立てる構えだ。自民都連は公募で候補者を選ぼうとしたが、党本部は待ったをかけた。初の女性首相に意欲を示す小池百合子都知事の国政移転動向が不明なためだ。仮に小池氏が出馬となれば、自民は相乗りする。告示ギリギリまで「小池ファクター」で様子見となろう。島根1区は保守大国である。やはり保守王国の群馬の前橋市長選で与党推薦の現職が敗北した。自民ら4党の推薦を受けた京都市長選の候補も共産党推薦の無所属新人に猛追を受けた。全国的に保守地盤が揺らいでおり、島根までそのしぶきを受けるのかどうか。補選の結果は、今後の政権運営や秋に総裁選に余波を及ぼす。21年春の衆参3補選・再選挙では、自民は不戦敗を含め全敗した。当時の菅義偉首相は求心力を失って、その後の総裁選不出馬に追い込まれた。今回、仮に全敗したら自民党内の「岸田おろし」の動きは加速するだろう。現時点での選挙予想屋の見方は、自民の1勝1敗1不戦敗である。
このハードルを乗り越えたら、通常国会会期末に解散を打てるかどうかが次の焦点となる。筆者は『インサイドライン』(2月25日号)に「6月解散・7月総選挙の可能性大」と前のめりに書いた。もちろん異論があることは承知のうえである。永田町では「もはや岸田に宝刀を抜くパワーはない」と言われている。「青木率」も政権の行き詰りを示している。マイナス要素を全部飲み込んだうえでも、解散の確率はかなり「高い」と判断した。というか、この時期を逃したら、岸田氏は泥船のまま沈んでいくしかない。イチかバチか賭けてみる最後のタイミングなのである。岸田氏周辺は、自民党が液状化した今、秋の総裁選がどういう形で固まるのか誰も読めない以上、再選を狙う岸田氏には6月解散・7月総選挙しか選択肢が残されていない、と解説する。選択肢が一つしかないなら、その道を突っ走るしかない、という訳だ。4月初旬には、自民党政治刷新本部の最終提言が出るという。そして派閥政治からの脱却が宣言されよう。熱狂の株価は夏に4万4000円を目指しているかもしれない。物価を上回る賃上げも実現していそうだ。6月はボーナスが支給され、定額減税も実施される。懐が温かくなった国民は「岸田政治もなかなかやるわい」と高揚しているだろう。こんな好条件が揃う時期は望んでもめったに来ない。衆院選は政権選択選挙である。解散の大義名分は、野党の会期末不信任案提出を受けた「与党政治の継続か、政権交代か」を争点にしてもいい。これまでの経済・景気対策の是非を問う、でも理屈は付く。野党の選挙準備不足や候補者乱立を想定すると、一部の選挙アナリストが予想するほど「自民惨敗」はないのではないか。野党第1党を争う立憲民主党と日本維新の会の足の引っ張り合いも自民党を利する。物議を醸すのを引き受けたうえで、あえて「6月解散」の一石を投じてみた。