政界は春の嵐が続いている。裏金事件に端を発した自民党の「後始末」は、政治倫理審査会で幕引きを図ろうとした党執行部の思惑が大外れとなった。安倍派関係議員の弁明が擦り切れたレコードのように「知らぬ」「存ぜず」の繰り返し、これには野党のみならず与党からも「火に油を注いだ」と批判が噴出する。尻ぬぐいに、岸田文雄首相(党総裁)自らが安倍派幹部4氏の追加聴取に乗り出し、処分を行う羽目になった。日テレは「キックバック再開判断に森喜朗元首相が関与の新証言」の“特ダネ”を流したが、他社はなぜか後追いしない。
一方、厳罰が取り沙汰されていた二階俊博元幹事長は先手を打って次の衆院選に出ないと表明した。老いの癇癪で「バカヤロー」放言があったものの、二階氏の決断は、組織的に裏金作りをしながら責任逃れに走る安倍派幹部に無言の圧力を与える。 外野席から自民党のカオスを眺めていると、今党内で汗をかいて仕事をしているのは岸田氏一人のように見える。「自民党をぶっ壊す」と言ったのは小泉純一郎元首相だが、実際に「ぶっ壊し」にかかったのは岸田氏ではないか。双日総研チーフアナリスト、吉崎達彦氏が発行するニュースレター「溜池通信」(781号)の一文に唸る。《安倍一強から岸田一狂へ――事前の相談抜きに派閥の解散が決められる人は、国会の解散にも躊躇しないでしょう。通常国会会期末「6月解散」はあり得ますぞ。何しろ「一狂」体制ですから。そのときに「一驚」しても始まらない。いや、達観してしまえば、そういう政治体制も「一興」ではあるのですが》。まさにその通り、当コラム筆者も膝を叩いて「一叫」してしまった。自民党がぶっ壊れ、ぬかるみ状態になった中で、この先どういう政局になるのか、正直なところ誰も分からない。岸田氏本人も分からない。求心力がどこにあり。遠心力が奈辺にあるのか、誰も指摘できない。これまでの自民党史になかった政治状況が到来している。岸田氏が衆院の解散・総選挙に踏み切って、与党で過半数を取れるのか、自民が大敗し下野するのか、誰も読めない。選挙アナリストはもっともらしい理屈をつけて予想するが、地下のマグマがどういう動きをしているか、どうやって覗けるのか。予測不能、羅針盤なしの恐ろしい「一恐」政治になっている。文字通り「一寸先が闇」の一恐政治の中で、政治コラムを書くのは辛い作業だ。当たり障りのないことを書いてもソッポを向かれる。
ならば「エイ・ヤッ」と大胆な予測を展開して読者の関心を引き付けるのも「あり」だろう。予測が外れれば「ごめんなさい」と謝るだけだ。筆者は先に、前のめり承知で「6月解散・7月総選挙の可能性大」と打った。その理由はこうだ。派閥が溶解した現在、このまま手をこまねいて秋の自民党総裁選に雪崩れ込んでも、どの候補に票が収束するのか、全く読めない。なので、事前に解散を打って「岸田信任」の印籠を水戸黄門ばりに「どうだ、文句があるか」とかざすしか選択肢が残されていない、と岸田氏周りは考えている。野党第1党を巡って立憲民主党と日本維新の会が競い合う中、自民党は野党候補乱立のおかげで漁夫の利を得る可能性がある。春闘での賃上げ、空前の株高、景気を下支えする大型予算の成立、6月実施の1人4万円定額減税などで国民の懐が潤っているので政権与党に有利に働く――等々を考慮してフライング気味に飛び出してみた。真逆の意見があることは知っている。超低空飛行の支持率で解散など打てるか、ぼろ負けして下野するだけだ。岸田氏を羽交い絞めしてでも解散阻止しようとする連中が少なからずいる。筆者は一石を投じたが、本当に解散が日の目を見るかどうか、書いた当人も自信がない。小池百合子都知事の動向も読めない。国政に転出すると♪小池にはまって、さあ大変…となる。
ただ、今現在、大胆予測を取り下げる気にはならない。吉崎氏の言う「一驚」となることに、淡い期待をかけているが。解散・総選挙なしに9月の自民党総裁選に持ち込まれたらどうなるか、このケース・スタディもしておかなければ「脇が甘い」と言われそうだ。自民党は3月17日の党大会で、脱派閥宣言を謳った。派閥を「資金力と人事への影響力で議員を集め、数の力でさらに影響力を志向する集団」と定義し、そのうえで「二度と(派閥を)復活させない」と、運動方針に明記している。 ▶︎
▶︎ただし政策集団は認めた。これが曲者で一皮向けば派閥とどこが違うのか判然としない。人間は群れる動物である。動物の「摂理」に逆らって、口先で脱派閥を唱えてみても、近未来に宝物の「玉手箱」を開けてみるとビックリ、「二度と復活させない」は儚い煙になっていた。残念な予測だが筆者はかなりの確率で保証する。人間は忘れる動物である。自民党は1993年の衆院選で過半数を割り込み、下野した。94年の自・社・さ連立政権で政権復帰したのを機に派閥を解散する。衣替えした政策集団を、メディアは「旧〇〇派」と表記した。古参の政治記者に聞くと、平河(自民党担当)クラブの任務は従来通りで取材の仕方も変わらなかったという。装いは変わっても、実態はこれまでの派閥そのものだったからだ。
そうこうするうちに、派閥は息を吹き返し、メディアの派閥表記も元に戻った。 「派閥」先祖返りの蠢動は早くも始まっている。3月13日夜、麻生太郎副総裁と世耕弘成前自民党参院幹事長が会食した。清話会(安倍派)が裏金事件で雲散霧消する中、世耕氏の組織した清風会(参院安倍派)がいまだに40人近い「塊」を維持していることに目をつけ、麻生氏から声を掛けたらしい。麻生氏の政策集団「志公会」(55人)は月1回、夜の会合を決めている。なんのことはない、「週1」の「派閥総会」が「月1」に変わっただけではないのか。自民党が「ぶっ壊れ」かねないこの時期、有力政治家が会食して無駄話に終わるはずがない。総裁選予定候補者を値踏みして、自分たちの「塊」は誰を応援するか、腹の探り合いが行われたものと思われる。キングメーカーになりたい麻生氏は「6月解散・7月総選挙」説には反対で、そのまま総裁選になっても「岸田勝算あり」の見方だと言われる。一時期、勝手に称賛した上川陽子外相は「目くらまし」の要素が強い。岸田氏が再出馬すれば、自分の政策集団をまとめて岸田応援に走るという声がもっぱらだ。茂木敏充幹事長率いる政策集団「平成研究会」も、依然「塊」として残存している。
一時期、小渕優子党選対委員長らの退会ラッシュが続き、空中分解かと思われたが、40人強が残った。茂木氏本人が総裁選に打って出るかどうか、今のところ不明である。党内外で「次は茂木」の声がなかなか起こらない。状況を把握して利に敏い人だけに、次回総裁選はパスして力を蓄える戦術に切り替えるかもしれない。「三頭政治」の2角を担ってきた麻生氏と茂木氏はまだ頻繁に連絡を取り合っている。 自民党の無派閥化モードが広がる中で、麻生氏が派閥解消に抵抗したのは「数は力」の信念を捨て去れないのだ。これまでの総裁選は「塊」が威力を発揮してきた。今、自民党ではっきり「塊(数)」を持っているのは麻生・茂木・世耕の3集団だけだ。三つ足し合わせると、優に100人を超える。この武器をちらつかせながら、岸田氏が総裁選に名乗りをあげれば、旧宏池会の面々がなびいて塊はさらに大きくなる。他の弱小集団も引き寄せられる。対抗馬は石破茂元幹事長、河野太郎デジタル相のいずれかだ。菅義偉前首相が担ぎ、地方の党員票も獲得するが案分は低い。最後は岸田氏に軍配が上がる。麻生氏の頭の中を勝手に「忖度」すると、こんな計算が働いている。これって、モロ、旧来型の派閥主導総裁選じゃないの?どこが「二度と復活させない」になるの?脱派閥宣言した口の乾かないうちに、塊(数)の力で物事を決めようとすでにうごめき出している。解党的出直しを誓った自民党だが、またしても「絵に描いた餅」に終わる気がしてならない。つくづく思う。人間は「変われない(変わらない)動物」なのだ。岸田氏周辺情報によると、超低空の支持率の中で一人汗を流す首相は、一向に「めげていない」そうだ。「とにかく明るい岸田」を持続しているという。これには、ほとほと「一驚」するしかない。正直、リーダーシップや発信力には疑問符が付くが、このしぶとさは、鋼の精神力なのか、異次元の鈍感力なのか。人を食った態度の麻生氏が「侮ったら大やけどするぞ」と“警告”を発するぐらいだから、それこそ国会議員のなかで「一強」の精神構造である。春の嵐に見舞われようと、春爛漫の景色が広がろうと、「めげない岸田で我は行く」一徹ぶりだけは変わりそうにないのだ。