自民党内の「石破降ろし」旋風がそよ風へと変わりつつある。反比例して「石破続投」の風が勢いを増してきた。先に予想した雲の動きが変調だ。退陣論を吹き飛ばす爆弾低気圧でも発生したかのようである。唐突に思い浮かんだ昭和歌謡がある。島倉千代子が歌った「人生いろいろ」。古い歌で申し訳ない。歌詞はこうだった。♪死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ バラもコスモスたちも 枯れておしまいと 人生いろいろ 男もいろいろ 女もいろいろ 咲き乱れるの
いったん死にかけた石破茂首相(自民党総裁)の凄まじいばかりの粘り腰を見るにつけ、何の脈絡もなくこの歌詞が浮かんだ。今夏の参院選で、衆参とも少数与党になった時点で、石破氏の命脈は尽きたと思った。どんなにしがみついても引責辞任は免れ得ない。あとは 自民党という器の「コップの中の嵐」を指をくわえて眺めているだけ、と小欄に書いた。
ところが、外部の風圧を受け「コップの嵐」は弱まり、正直先行きが読めなくなった。不明を恥じるばかりである。改めて「政(まつりごと)いろいろ」を痛感している。現在の全体状況を俯瞰したら、こうなるだろう。自民党内は「石破引責辞任しろ」の声がかなり沈静化してきたが、まだ6割強の比率で優勢だ。党外は「石破辞めるな、頑張れ」の声が逆に6割以上で優っている。気象予報的に言うと、冷たい空気の塊と暖かい空気の塊がぶつかり合い、前線ができた状態である。停滞前線は日本列島を覆い、膠着したままいつ「梅雨明け」するかわからない。永田町ウォッチャーには「予報士泣かせ」の空模様が続いている、といった塩梅だ。
なぜ、前線が停滞することになったのか。その要因を少し細かく見ていきたい。第一は、党内の「石破降ろし」の熱気とは裏腹に、報道各社の世論調査が石破政権に好意的な数値が相次いだことだ。参院選で示された民意と相反する形で、各メディア世論調査で内閣支持率が上昇、しかも石破氏の続投を容認する割合が退陣論を上回っている。1社や2社の「レア・ケース」ではない。おしなべてそうである。自民党のロジックと世間の見方に乖離が生じたのだ。代表例として読売新聞・NNN調査(22~24日実施、サンプル数991人)を引く。内閣支持率は前回7月より17P上昇して39%。同社によると、同じ内閣でこの上昇幅は、調査方法は異なるが、2002年当時の小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問した後の調査で20P上昇したのに次ぐ。08年に現在の調査方法を採ってからは最大の上昇幅という。石破氏は辞任すべきか、を尋ねたところ「思わない」50%、「思う」42%だった。自民党支持層に限ると「辞任すべきでない」が74%に上り、「すべき」の20%を50P余上回った。国政選挙と世論調査を「秤にかけりゃ」どちらの「民意」が重たいか。答えは歴然、国政選挙である。判定に用いる「サンプル数」が圧倒的に違う。
しかし、世論調査の中身を覗くと、続投を容認する理由は「自公大敗は石破氏ではなく自民全体の問題」「ポスト石破の有力候補が見当たらない」「石破降ろしを声高に言っている人の多くは、政治とカネの問題を起こした裏金議員」といった要因が上位を占める。
つまり、悪いのは「石破でなく、反石破の方だ」と決めてかかる。自民党執行部の一人はこんなエピソードを明かしてくれた。8月12日、石破氏は防衛相時代の2008年に起きた海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船の衝突事故で亡くなった漁師(千葉県勝浦市)の遺族宅を妻の佳子さんと訪れ、焼香した。「パフォーマンスに過ぎないとの声が上がりそうだが、17年前の事故だ。現職の首相がなかなか行けるものではない。遺族や大けがをした民間人にも気配りしている石破さんらしさは、それが直ちにリベラルと言わないけれど、参政党や日本保守党といった新手の右派勢力が台頭している中で、今や希少価値になっている」。
ちなみに、こう語る人物は「石破続投」派ではない。因みに、事実に即して言えば、件の衝突事故の原因は漁船側にあることは証明されており、当時、海自の制服組から「大臣は遺族ばかりに目が向いており乗組員への声掛けが一切無かった」と不満の声が多くあった。その頃から世論重視のポピュリストの片鱗が見えていたようだ。世論調査の数字を見せつけられるたび「石破降ろし」の中心的役割を担ってきた麻生派、旧茂木派、旧安倍派の連中は心中穏やかでない。NNNの調査によると、120人の国会議員が「総裁選やるべき」と回答しているそうだが、この数字は反石破の3派議員数に匹敵する。その後、JNNが行った同様の調査では、「やるべき」が49人(22%)まで減り、態度を示さなかった議員は137人に増えた。風向きが自分たちへと向かい、振り上げたこぶしを他人に悟られぬようにこっそり下ろそう、と逡巡している人も出てこよう。反石破陣営に「厭戦」気分が湧き、結果として「石破降ろし」の風は微風になってしまう。▶︎
▶︎「嫌・石破」を公言してはばからない元自民党幹部は語る。「党青年局長で大勲位の孫(中曽根康隆衆院議員)は3分の1以上の(両院議議員総会開催要望)署名を集めたと言っているが、不思議なのは署名集めの現状を示すリークが一切ない。えぇ、こんな人も署名しているの?という声が上がるようにリークするのが普通だ。
しかし、今回はナシ。これも石破が続投に自信を持つ理由じゃないのか。降ろす側が一糸乱れず隊列を組んで攻撃を行う、攻め立てる。その舞台を指揮する司令官が不在だ。戦略・戦術が無きに等しい。これでは勝てない」。中曽根氏の「3分の1以上」はフェイクじゃないかと言わんばかりである。司令官なき軍団は烏合の衆に過ぎない。また、記憶の破片が筆者に飛んできた。司馬遼太郎が書いた『坂の上の雲』によると、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を率いた司令官はロジェストウェンスキー提督だ。この「無能の司令官」はウラジオストックに逃げ込むことばかりを考えていたので、東郷平八郎率いる日本海軍(作戦を立てたのは参謀の秋山真之)に、ほとんどのロシア艦船を撃沈され、敗北した。自身は捕虜になる。翻って「石破続投・延命」軍は党内きっての名将の誉れ高い、森山裕幹事長が「司令官」として統率する。石破政権での存在感は絶大だ。昨年10月の衆院選で自公が少数与党となって以降、国会運営を乗り切れたのは野党に太いパイプを持つ森山氏の手腕が大きい。霞が関からは「政権を回しているのは幹事長だ」の声が漏れる。おそらく、石破延命のシナリオは森山氏が描いているのだろう。 森山氏は7月の両院議員懇談会で「参院選総括の報告書がまとまった段階で自らの責任を明らかにしたい」と“辞任”を示唆した。注視すべきは、「責任を明らかにする」と言ったが「辞任する」とは言っていない。その真意について「石破の盾となる気だ」「いや、首相に引導を渡すのでは」など様々な見方が飛び交った。「本当の気持ちはわからない」と親交の深い自民幹部も胸中をつかみかねる。先の参院選で、地元の鹿児島選挙区で敗北したことを受け、党県連会長を辞任する意向を伝達していた。
ところが、20日の県連会合で「余人をもって代えがたし」と促されると、続投を受け入れた。このささやかな翻意ですら幹事長継続への布石と憶測を呼ぶ。8月末に取りまとめる予定だった参院選「総括」は、9月2日に後ろ倒しされた。理由は明らかにされていない。これに伴い、総裁選挙管理委員会による対象者への意思確認作業も「総括」が出た後に先延ばしされる。「石破降ろし」に向けた手続きがどんどん後ろに送られ、一時沸騰した熱気は次第に冷めていく構図である。総裁選管委員長の逢沢一郎氏は19日の選管会合で「確実に本人の意思だと確認しなければならない」と記名での書面提出を強く主張した。委員から匿名を主張する意見が出ると「総裁の身分にかかわる意思確認が無記名でいいのか」と反論した。結局は、本人が党本部に記名・捺印の確認書持参となった。意思確認の場を“晒し者”にするということだ。石破続投派に有利に働く。
仮に、意思確認の集計で過半数に届かず総裁選開かれずとなれば、自動的に石破政権の続投となる。総裁選開催に賛成した者は人事で干されるだけでなく、次期衆院選で党公認から外されるリスクを抱える。選挙の公認権は総裁と幹事長の専権事項だからだ。記名方式は、対象者にかなりのプレッシャーを与える。「石破延命」説の“補足証拠”は他にも挙げられる。紙幅の都合で箇条書きにする。①9月末まで外交日程が目白押し。外交儀礼上、その間、首相を引きずり下ろすことは相手国に失礼になる②多数野党と折り合いをつけ、政権運営できるポスト石破候補が見当たらない③石破応援団の山崎拓元自民副総裁が「あと2年やってバトンタッチする」と語り、色々と策を授ける鈴木宗男参院議員は「総裁選やれというなら解散総選挙で信を問うのが民主的」とブログでラッパを吹く、などなど。繰り返しすが「ポスト石破」は石破なのか、別の人なのか、出口の姿がはっきり見えない。
ただ、筆者が断言できることは、石破氏が党内政局に勝ったなら、反石破の連中は息をひそめながら冷や飯を食べることを覚悟しなければならない。かつての石破氏のように。一方、政権の幕引きに腐心する森山氏が辞め、党執行部の辞任ドミノが起きたなら、石破政権は終わる。「人生いろいろ」にはこんな歌詞もあった。♪恋は突然くるわ 別れもそうね そしてこころを乱し 神に祈るのよ