いったん頭をもたげた年明けの衆院解散・総選挙説があっという間にしぼんでしまった。11月28日付の新聞各紙は、『日本経済新聞』が1面トップに「衆院1月解散見送り」と報じたのを始めに、『読売新聞』の「解散、春以降の公算」(1面)、『毎日新聞』の「衆院解散、来春以降に」(同)など各紙も歩調をそろえた。27日夜の記者「夜回り」懇談で、官房副長官クラスや自民党幹部が意図して漏らしたのだろう。ということは、菅義偉首相のお墨付きであるのは疑いない。今の政府・与党権力構図では、国会運営方針や政治日程は菅首相と森山裕自民党国対委員長の二人の密談で決めている。おそらく二人は27日昼間、携帯電話で話し合い「年明け解散なし、記者へのほのめかしOK」を摺り合わせしたに違いない。これによって、衆院の解散・総選挙は来年夏以降になる公算が強まった。11月初旬から年明け解散説が急浮上したのには訳がある。風が吹けば桶屋が儲かる、のデンで言うと、菅首相の臨時国会での答弁が予想通りお粗末極まりなかったからだ。それを見て与党内に、年明けの通常国会での長期間の予算委審議が持ちこたえられるか、と危機感が増した。局面を打開するため、自民、公明両党幹部が相次いで年明け解散を口走るようになった。内閣支持率も高水準を維持、筆者がメルクマールにしている共同通信社の世論調査(11月14~15日実施)で支持63%だった。
支持率が高いうちに断行しよう、という声が湧き、解散説がつむじ風として舞う事態となった。慌てた与野党議員が一斉に選挙区入りするなど臨戦態勢の観を呈したからである(因みに『日経調査』=27~29日実施=では前回比5ポイント減の58%)。
11月2日から6日まで開かれた衆参予算委員会で、日本学術会議の任命拒否問題が取り上げられた。「任命拒否は学問の自由の侵害で違法だ」と追及する野党幹部に、菅首相は「答弁は差し控える」を連発、防戦一方となった。後ろから秘書官が身を乗り出して座席の首相に紙を渡し、ペンで読むべき箇所を指し示す光景を何度も目にした。紙をぼそぼそと読み上げる姿に野党議員からは「自助、自助」とヤジが飛んだ。与党関係者からは「紙を読み上げて、それ以外は何も言わない作戦だ。こういう答弁が一番安定する」と珍妙な解説もあった。唯一、ご愛敬と言える場面があった。質疑初日となった2日、菅首相と同じ神奈川県選出の江田憲司氏(無所属)が「首相の初めての選挙を手伝った。私が政界に身を置くきっかけを作ったのも首相だ。今は政敵で立場を異にするが感慨深い」と切り出すと、首相は「江田さんですから、私も『全集中の呼吸』で答弁させていただきます」と応じた。全集中の呼吸、とは大ブームの漫画「鬼滅の刃」で主人公の竈門炭治郎らが、敵方の鬼を倒すため剣技を繰り出す際に行う呼吸法で、自らの力を最大限に引き出す効果がある。首相を取り巻く民間人ブレーンが「鬼滅の刃」ブームにあやかって「こういう文言を入れたらどうか」と進言、首相人が答弁に盛り込むことを決めたという。首相周辺によると「首相は恐らく『鬼滅の刃』を読んでいないだろうが、話題になっているのは知っている。登場するあるキャラクターに似ている、と言われていることも自覚している」あるキャラクターとは、その後質問に立った辻元清美氏(立憲民主党幹事長代行)が「種明かし」する。日本学術会議会員候補を任命拒否した件をめぐり、主人公炭治郎の敵で、鬼の元締めである鬼舞辻無惨のセリフを引いて「『私の言うことは絶対である。私が正しいと言ったことが正しいのだ』。
こうならないように注意していただきたい」とぶちかました。どうでもいいが、言論の府も「鬼滅の刃」ブームに悪乗りしすぎではないか。 ▶︎
▶︎本題に戻す。年明け解散に踏み切る場合、通常国会の召集冒頭か、補正予算の成立直後の2択が考えられた。具体的には①仕事始めの1月4日召集・冒頭解散で同24日投開票②1月12日召集・第3次補正予算案成立後解散で2月7日投開票、又は1月22日解散で2月28日投開票――などだ。
安倍前政権下では2015年に1月4日召集の例がある。4日冒頭解散で、選挙後の特別国会を2月初旬に召集できれば、机上の計算では来年度予算の年度内成立も不可能ではない。ただ、世界的にコロナが再び猛威をふるい出した。世界の累計感染者数は26日、米ジョンズ・ホプキンス大の集計で6000万人を超えた。8日に5000万人を超えてからわずか17日間で1000万人増だ。死者数は計142万人に上る。空気が乾燥し出す冬は日本も例外でない。政府はコロナ対策のために正月休みを1月11日まで延ばす「仕事始めの分散化」を呼び掛けている。1月解散を強行すれば、コロナ禍に苦しむ国民から総スカンを食らう恐れがあった。菅首相は森山国対委員長を全面的に頼りにしている。首相周辺によると、首相の携帯電話に森山氏から電話が入ることは1日に何回もあるという。「森山氏こそが首相の最大ブレーン」と言い切る人もある。その森山氏は22日、地元の鹿児島市で「1月4日召集とか冒頭解散は無理かも。1月下旬の召集になると、来年度予算の自然成立に向けて日程が厳しくなる」という趣旨の発言をしている。これを素直に読むと、召集は1月中旬、もっと絞れば1月18日しかない。菅首相は10日の閣議で2020年度第3次補正予算案の編成を指示した。コロナ対策と経済回復を両立させるため、与党内では30兆円超財政出動の声も出ている。実は、菅首相が第3次補正と年内に編成する21年度予算を一体化した「15カ月予算」とする方針を明確したことも、1月通常国会での補正予算成立後解散説に拍車をかけたのである。
日本のみならず世界の主要国では大規模なコロナ対策が取られ、積極的な金融財政支援策に踏み込んでいる。財政赤字は拡大しているが、中央銀行による莫大な国債買い入れによって金利は低位に抑えられたままだ。以前小欄でも指摘したことがあるが、この事態って昨年議論を呼んだ現代貨幣理論(MMT)を結果的に実践しているのではないのか。MMTのキモは「自国通貨を発行できる政府はインフレにならない限り大量の国債発行をある程度許容する」というものだ。
今、財政規律を声高に言う人はいないが、コロナが一段落した時、各国当局は市場に混乱を与えず「出口戦略」を実行できるのか、見物である。
良い悪いは別にして、菅首相という政治家は、目の前にある課題にかかりきりになってしまう。他のことには無関心というか、ほったらかしになるタイプである。一つの重大案件に直面すると、どうしてもそこだけにしか目が向かない。今菅首相の頭を占めているのは、北海道で発生したコロナ前線が南下している現状を何とか食い止めることと、それに伴うGoToトラベル問題への対処しかない。それだけでアップアップの状態と言っていい。バイデン米新政権誕生に向けた外交問題、対中関係をいかに持っていくか、などほとんど関心がない。国家ビジョンなどハナから持っていない。目指すべき社会を「自助・共助・公助」としたのも自民党綱領から拝借しただけだ。 菅首相は慎重居士でもある。イチかバチかの勝負を避けたがる。永田町で1月解散風が強まっている最中でも「就任時からコロナ禍での早期解散には慎重だった人だ」「菅首相の性格からして、オーソドックスに実績、成果を積み上げてから、これだけのことをしましたと言って国民に信を問うのではないか」という声を耳にした。「これだけのこと」とは、携帯電話料金値下げ、デジタル庁創設、不妊治療の保険適用の「3大菅案件」である。1月解散が見送られれば、来年10月の衆院議員の任期満了まで解散のタイミングは事実上3つに絞られたと言っていい。「3大菅案件」が日の目を見た後の通常国会会期末▽開催されたとして東京五輪・パラリンピック後の来年9月ごろ▽自民党総裁選を経て10月21日の任期満了直前――である。さて、どうなるか。