2021年1月 「チーム菅」が存在しない官邸

国民の失望が止まらない。菅義偉首相がテレビに露出するたびに、内閣支持率は下がっていく。語尾が早口となり意味不明、官邸官僚作成のメモがなければ、答弁が支離滅裂になる。「菅語」のお粗末さはこれまでも指摘してきた。一言で集約するなら、言葉に熱量が感じられない。施政方針演説を、天声人語子は「拍子抜けを通り越して、床にへたり込んだ」とこき下ろす。直近のメディア各社の世論調査は、支持率と不支持率が逆転、支持率も危険水域とされる30%に近づく。政権寄りとされる読売新聞社の調査(1月15~17日実施)でも支持39%、不支持49%だった。与党議員、官僚たちからも「もうダメだ」と、菅政権は泥船扱いされる。このまま沈没してしまうのか――。 
 発足当初は「切れ者」「実務型」などと派閥を持たずにトップに上り詰めた菅氏への期待値が高かった。支持率にそれが反映されていた。政権100日を迎える「ハネムーン」が終わるころから急転直下のダッチロールが始まった。コロナ対応の迷走、発信力ゼロの「菅語」が相まって下向きベクトルへと作用する。安部晋三前首相は、支持率が低下してきたら「外交」で挽回した。だが、菅首相に外交力はない。支持率を反転させる材料がどこにも見当たらない。誰が言ったか「自滅の刃」に陥っている。 
 菅氏のことをみんなが「誤解」していたのか。何かの「勘違い」から首相に祭り上げられたのか。振り返ると、官房長官時代から受け答えはぶっきらぼうで、熱量が恐ろしく不足していた。官房長官番記者らは「鉄壁ガースー」とインナーサークルで名づけていた。菅長官の番記者だった毎日新聞の秋山信一氏が書いた『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)という本がある。外信部でカイロ特派員を務めた秋山氏は、政治部の仕事にやりがいを見いだせずにいたところ、先輩記者から「政治部の記者を観察するつもりでやればいいじゃないか」と助言される。著書は、いわば菅官房長官の番記者グループの「潜入ルポ」とも言える。 
 秋山氏は「菅氏に説明能力が足りないことは、毎日のように会見に出ている長官番記者ならだれでも知っていることだった。政治記者たちはそれを隠蔽することに加担してきた」と暴露する。例えば、こんな具合だ。「桜を見る会」の招待客名簿の存否が問題になった記者会見で、「調査は今後されるということか」との質問に、菅氏はこう答えた。「して、対応しているということです」。何を言っているのかわからない。それを番記者らは「(すでに調査)して、(必要な)対応(を)している」と補う。番記者らは、菅氏の能力の欠如を取り上げずに「不足している部分を取材でどう補うか」あるいは「目をつぶって、分かりやすい部分をどう切り取るか」という方向に向いていた。 
 菅氏も自分の能力が足りないことは分かっている。番記者たちを取り込み利用することでそれを補おうとする。菅氏は記者心理をくすぐるのがうまく、毎晩のように議員宿舎に招き入れるなど番記者たちには丁寧に接して心証をよくし、自分の応援団に変えていく、と秋山氏は述懐する。 民間人の織井友作氏がネット上にブログ「時事巷談」を立ち上げている。たまたま目にした内容が永田町ウォッチャーには持ちえない視点から辛らつに切り込んでいる。「政治部の常識は、ムラの外では非常識である。菅氏はそうしてムラに囲われることで『影の実力者』『実務型』の幻影を生み出した。ところがムラの外に一人で出てしまうと『ガースーです』などと言ってしまう。この程度の政治家だったと、世の中が知った時にはもう遅かった。菅政権とは、政治記者文化が作り出したモニュメントである」。政治記者文化は、仕事好きで腕力はあるが舌足らずの「普通の政治家」を稀代の「切れ者」に変えてしまったのか。▶︎

 ▶︎前首相は「安倍1強」だった。現首相は「菅一存」である。何から何まで自分で決めてしまう。官房長官時代のように、官僚から報告を受けると最後は自ら決断する流れは何も変わっていない。だが、はっきりしていることがある。コロナ禍の国難に直面する今、首相1人の力では、どんなスーパーマンでも乗り切れない。菅氏は他人を信用して、任せることができないタチなのか。「首相にまだなり切れていない。官房長官のままだ」の声を聞く。霞が関も人事を差配する官邸を恐れてか、及び腰になっている。実は、東大出のインテリは「アンチ・インテリ」に一番弱い。突破力だけで世渡りしてきた人の対応を知らないのだ。偏差値の高い人ほど強面と強権人事でヘナヘナになってしまう。菅氏は政治家として田中角栄元首相、梶山静六元官房長官という腕力が抜きんでていたアンチ・インテリの系譜につながっているようだ。 
 ロシアの通信社「スプートニク」が「スガーリン:スターリンを連想させる独善的な歩み」というタイトルで、ロシア極東研究所のワレリー・キスタノフ日本研究センター長のインタビュー記事を載せている。それによると「日本では独裁者としてのネガティブなイメージが強いスターリンとの比較は、当然ながら菅首相のプラスにならない」「菅首相は権威主義的という意味ではスターリンに程遠いが、独善的なやり方は当然、不満を呼ぶ」。海外メディアも勘どころは押さえている。 
 筆者の友人は、菅氏のことを「戦場の最前線で部隊長自らが先頭になり匍匐前進するタイプ」と形容した。言い得て妙である。前首相にはあったが、現首相にないものがある。命を張る側近だ。安倍氏には今井尚哉首相政務秘書官という「安倍命」がいた。今井氏について毀誉褒貶あるものの、命を懸けて安倍氏を守り、支えてきたことだけは疑う余地がない。こんなエピソードがある。来客が首相執務室へ入室する際、ドアを開けるのは今井氏の役目だった。どんな人でも今井氏がドアのノブに手をかけて「どうぞ」と言われてからでないと入室できない。入室のタイミングも今井氏の判断だった。ある閣僚が安倍首相に呼ばれて官邸に行ったとき、今井氏が秘書官室で他の同僚と話していたので、総理室付きの女性スタッフがドアを開けようとしたら、今井氏が大声で「まだダメだ」と怒鳴ったことがある。その場は凍り付いた。今井氏はドア管理にも命がけで首相を守っていた。ちなみに、現在は女性スタッフがいるだけで、すぐ入室できる。 
 今の首相官邸には「チーム安倍」のような「チーム菅」が存在しない。諫言する側近もいないし、スピーチライターもいない。菅氏が自民党バッジ組で頼りにしているのは筆者の知る限り、森山裕国対委員長、山口泰明選対委員長、梶山弘志経産相しか思いつかない。前述の比喩で言うと、匍匐前進していた部隊長が後ろを振り向いたら、この3人だけしかいなかったという構図だ。これでは戦いに勝てるわけがない。 
 無派閥の菅氏は「二階裁定」で首相の座を射止めた。菅氏と二階俊博幹事長の関係は、かつての三木武夫首相と椎名悦三郎副総裁を想起させる。田中内閣が金権批判で退陣した時、椎名氏は総裁選をやらずにいわゆる「椎名裁定」で三木氏を首相に指名した。ところがその後、三木氏の党改革や政治資金改革に対する反発で党内から「三木おろし」が起こると、椎名氏はそれに同調する。そして有名な「生みの親だが育てると言ったことはない」という言葉を残す。菅氏と二階氏の関係は今後どうなるのだろう。 菅氏の人物論に傾注しすぎて紙幅が尽きた。いずれにせよ、裸の王様?の菅氏が波乱なく政権を維持するのは極めて難しい。コロナ禍対応、内閣支持率、4月25日の衆参院補選の行方、東京五輪・パラリオンピックの有無、衆院解散時期など変動要因は多いが、政局展望については次に譲る。