「良い政治家とは、明日、来週、来月、そして来年どうなるかを予言でき、かつ、なぜそうならなかったかを説明できる人間である」―。英国の元首相、ウィンストン・チャーチルの言葉だが「良い政治家」を「良いジャーナリスト」と言い換えても通用しそうである。
岸田文雄首相が参院選で勝てば、向こう3年間衆院を解散しない限り国政選挙のない「黄金の3年」を迎える、という政治カレンダーが永田町に久しく流れている。「黄金の3年」は筆者も文章表現のアヤで使ったことがある。でも本音を言うと、うさん臭いと思っていた。現実味が乏しいと感じている。有為転変激しい政界に3年間も解散風が吹かないことはない。取材経験から断言できる。いくら野党が非力でも、与党が「無策無敵」の岸田政権で表向きまとまっているように見えても、政治はそんなに甘くない。自民党内の非主流派は言わずもがなだが、ポスト岸田を狙う面々も岸田氏が弱みを見せたら足を引っぱってやろうと待ち構えているのが地下マグマの実相だ。3年間、スピードを控え目に安全運転していたら無事乗り切れるほど政界は単純・無垢でない。そんな権力者は過去一人もいなかった。権力を持つ者に真の安定期が到来するのは、実は衆院を解散し勝利してからである。自分の手で解散し総選挙で圧勝したリーダーこそ無双の力をつける。それが長年政治を取材してきて学んだことである。のっけから少し力んでしまった。
心穏やかに、近代日本政治史を振り返りながら論証したい。2001年、参院選に圧勝した小泉純一郎元首相は、3年後の衆院任期満了を待たずに03年に解散した。04年には参院選があった。青木幹雄元官房長官は小泉氏に、それこそ「勝てば黄金の3年が来る」と進言したが、小泉氏は05年に再び解散した。衆院の解散権は、憲法で認められている首相に与えられた大権である。首相になった者、一度はこの宝刀を抜いてみたくなる。解散・総選挙に勝利した首相は以前にも増して足元が盤石になるのが自明だからだ。
しかし、心ならずも解散権を行使できなかった首相も多い。麻生太郎元首相、菅義偉前首相がそうだ。両氏とも解散を打てずに政権を去る。内閣支持率が下落し「選挙の顔」としての信任を党内で失うと、政権に遠心力が働き、解散カードは急激に色あせる。青木氏が「黄金の3年」の言い出しっぺかどうか、定かでない。余談になるが、青木氏は現実政治を数字でもって独自解析した珍しい政治家である。有名な「青木方程式」がある。「内閣支持率と政党支持率の合計が50%を下回ると政権は倒れる」というもので、不思議と当たっている。つらつら思うに「3」という数字は日本人の生活にとって一つの目安となっている。俗に「3日3カ月3年」という。明日から7月で新年度から3カ月経つ。期待に胸膨らませて入社した新入社員が「こんなはずじゃなかった」と離職を考える時期でもある。本来は3日我慢すれば3カ月耐えられる。3カ月耐えられれば3年頑張れる、と芸事や修行に臨む心構えを説いた言葉だ。民話に「3年寝太郎」がある。3年間寝転がってばかりいる怠け者が突然起き出して大きな仕事を成し遂げるという筋書きだ。しかし、岸田氏が「黄金の3年」を寝転がってばかりいたら絶対につぶれる、否、つぶされる。更に政治史をひも解いて考察したい。
安倍晋三元首相は小泉氏と似て、好機とみればためらいなく解散を連発し、衆院選で勝ち続けて最長政権を築いた。野党の自民党総裁だった安倍氏は12年12月の衆院選で大勝して首相に再登板する。翌年7月の参院選でも与党は過半数を獲得し、外野席は16年夏の参院選まで「黄金の3年」か、とはやし立てた。ところが、翌14年11月、任期4年の半分以上を残して衆院解散に踏み切り、総選挙で大勝する。
安倍政権は16年7月の参院選も勝利し「改憲勢力」が衆参の3分の2を超える。今度こそ18年12月の衆院議員任期満了までの2年半に悲願の改憲を目指すと見られた。
だが、17年前半にかけてモリカケ問題が降りかかり支持率が急落する。それが底を打って反転し始めた17年9月、自民党も想定外だった抜き打ち解散を断行し、与党で3分の2超を維持する。以上、くどくどと解散史を書き連ねたのは、日本の政治は結果としてほぼ毎年のように国政選挙が行われていることを言いたかったためである。衆院の任期は4年、参院は3年ごとに半数改選、そのはざまに任期3年の自民党総裁選も巡ってくる。その順列組み合わせの妙のほかに、首相が持つ伝家の宝刀はいつ抜かれるか、分からないのである。コロナ対策に追われ、解散カードを切るタイミングを掴み損ねた菅政権の任期満了(実際は満了後に岸田政権下で行われた)衆院選の方がレア・レア・ケースなのだ。
重ね重ねダメ押しすると、岸田氏に「黄金の3年」は訪れない。最近、現政権中枢にいる人、過去政権中枢にいた人と立て続けに会った。オフレコで聞いているので誰とは申し上げられない。2人とも「黄金の3年などありえない」と、概要次のようなことを言っていたように記憶している。「日本経済再生の見通し、ウクライナ戦争の行く末、台湾有事の懸念など変数が多くあり来年以降を展望するのは容易でないが、早めに23年度予算を成立させて広島サミットを成功裡に終えて、来年のお盆休み前か直後の衆院解散・総選挙に踏み切る行程表がこの年末にも出来上がりそうだ」(現中枢)。「私が今、密かに関心を持っているのは次の総選挙のタイミングだ。世情では“黄金の3年”などと喧伝されるが、安倍さんだって13年7月の参院選で勝利してから当分選挙はないと言われていた中で1年半後に衆院解散・総選挙に打って出て勝利し、その後の長期政権の基礎を築いた。岸田さんも考えないはずがない。
最近、親しい政治家と話した際にも来年中のいつかで衆院選があるとの見方で一致した」(元中枢)。少なくとも3回生以上の衆院議員なら誰しも「常在戦場」が身に染みている。そういう展望、政局観、先の見通し力のない議員が仮にいたならバッチを外して別の職業に就くことをお勧めする。問題は、いつ衆院解散に打って出るか、である。23年5月19~21日、岸田氏にとって一世一代のG7広島サミットがある。地元での開催だ。24年には党総裁選が待つ。今は党執行部の茂木敏充幹事長、高市早苗政調会長、河野太郎広報本部長らポスト岸田候補らが総裁選で岸田氏に挑戦するなら1年前の23年秋の内閣改造、党人事で無役に転じ政権構想の準備を始めるのが「常道」だ。岸田氏は一連の政治日程を俯瞰しつつ、総裁選情勢と内閣支持率を両にらみし、いつ解散カードを切るか、すでに熟考しているに違いない。解散を持ちこして、衆院の任期満了を迎える25年に入ると、夏の衆参同日選挙しか有力な選択肢がなくなる。仮に支持率が低迷していると逃げ道もないまま追い込まれ選挙となる。従って、参院選後の3年間を「寝太郎」で過ごすわけに行かないのである。岸田氏が解散権をいつでも行使できるようにしておく条件は二つだ。一つは40%台後半超の内閣支持率を維持しておくことだ。
前述の「青木方程式」が当てはまるようだと「グッバイ・キシダ」になる。二つ目は、小選挙区の1票の格差を2倍未満に抑える「10増10減」の区割り改定法案を成立させていなければならない。違憲状態を承知で選挙を敢行するのは立法の怠慢であり、司法への冒涜だ。選挙戦たけなわの参院選にひと言も言及していなかった。庶民感覚で言わせてもらうと、物価高と何で給料が上がらないのか、腹立たしい。このあたりの対策をうまく取り込んだ政党が伸びてくれたら、岸田政権のお尻にも火が付くだろう。短かった梅雨の期間が過ぎ、記録的猛暑での戦いである。
さて、どんな風が吹くのか、あるいは事前予想のように無風なのか、7月10日結果を見てのお楽しみとしたい。