2023年1月 天下餅を「すわりしまま食う岸田」なのか? 

徳川家康がスポットライトを浴びている。今年のNHK大河ドラマは、家康の生きざまを描く「どうする家康」である。テレビ嫌いの筆者は観ていないが滑り出しの視聴率はまずまずだ。その家康を揶揄した狂歌がある。「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 すわりしままに食うは徳川」。織田信長が始めた天下統一の事業を豊臣秀吉が引き継ぎ、何もしていない徳川家康が横取りした、を例えている。これをもじって「安倍がつき 菅がこねし天下餅 すわりしままに食うは岸田」。天下餅を「軍拡餅」「戦争餅」に言い換えるバリエーションもある。実際の家康は、艱難辛苦を耐え、先を読む洞察力と行動力で天下を取ったのだろう。表層の現象でしか見ない人は多い。狂歌で茶化されるように岸田文雄首相は「すわりしままに」餅を食っているだけなのか。愚図、優柔不断とサンドバッグのように叩かれ、支持率の低空飛行に苦悩している、と傍目には見える。あに図らんや、逆境下でもしたたかに振る舞い、側近も「首相は相変わらず恬淡としている」と証言する。
 自民党内から今のところ「岸田おろし」のつむじ風も起きていない。この相反のフェーズはなぜなのか。それを説き起こそうとするのが今回の主テーマである。昨年暮れから年初にかけて、岸田氏は永田町・霞が関が抱えていた懸案を矢継ぎ早に断行した。自民党右派が求めてきた防衛費の大幅増額、財務省が言い出せなかった増税、経産省の悲願である原発の稼働期限延長と新増設……。「国民には不人気だが低支持率さえ気にしなけりゃ国家の先行きを考え、難題を解決した名宰相」と官僚たちから拍手喝采が起きかねない独断専行ぶりである。米国メディアは「安倍政治より安倍的である」と論じる。読売新聞・伊藤俊行編集委員の論評はユニークだ(9日付)。「岸田政権運営は『ハードルを超えずに、くぐる』ようなものだという評を聞く。内閣支持率を飛び越せないと見るや、下を行く。観衆があっけに取られているうちに、政策が進む。(中略)党内や野党に異論の多い政策で、根回しなく、決定は独断的で、説得を尽くさないから印象が悪い。競技規則に『ハードルはくぐるな』と書いていなくても失格だろう。跳ぶのを避けた障害走では観衆もしらけ、政治離れにもつながる。それが岸田流コロンブスの卵なら、感心しない」。何が岸田氏をこうも駆り立てたのだろう。
 一つの仮説を立ててみる。首相は誰でも長期政権を目指す。それが永田町の「常識論」である。しかし、岸田氏が就任時から「3年間の任期を完投した後は勇退する」を心に秘めていたと仮定すれば、話は変わってくる。24年9月までの総裁任期まで、理屈の上では自ら投げ出さない限り首相のままだ。反撃能力の保有を明記した安保関連3文書や原子力政策の転換は歴代政権がやろうにも出来なかった難題である。それに道筋をつけたなら首相のレガシーとして十分過ぎる、と一部の評価もある。深読みが高じると「岸田氏は再選を目指していないのではないか」という憶測へつながる。辞めることを決めた人間に怖いものはない。他人の評価よりこの際、お国のために長年のアジェンダを片っ端から整理しておこう、と覚悟していたなら……想像の羽根はどんどん広がる。「誠心誠意、丁寧に説明する」が岸田氏の決まり文句だが、お題目通り丁寧に説明した場面を殆ど見たことがない。岸田氏は一体何を考えているのか。真意が分からない、という一種の畏れは求心力に結びつく。曖昧模糊、掴みどころのないものには不思議と吸引力がある。人が神を信じる思考回路に少し似る。だが、現実の政治は単なる課題提示だけにとどまり政策遂行までたどり着かなければ、永田町の楽屋話で終わる。あと2年半残る総裁任期中、言ったことを形にできるのか。その辺の見極めが筆者もできない。伊吹文明元衆院議長は「岸田レストランはスペシャルメニューなど三つ出したけど、どういう料理なのかよくわからない」と言う。▶︎

 

▶︎「歴史的転換にモノ申す」姿勢は、安保や原子力にとどまらない。日本にとって最大の「有事」である少子化対策にまで踏み込んだ。三つ目のメニューである。「異次元の対策」とうたったら、大げさとヤジが飛んだ。国会の施政方針演説では「これまでと次元の異なる」と言い換えた。どこがどう違うのか、分からない。中国、北朝鮮が「やかましい有事」なら、少子化は国家の衰退につながる「静かなる有事」である。人口が減れば経済が低迷するのは当たり前だ。電気・ガス・水道・交通の社会インフラまで崩壊する。国防や治安維持どころではない、国家としての体を成さなくなる。ОECD加盟38カ国で一番少子化が進んでいるのは韓国である。日本の出生率は下から4番目。韓国はこのまま推移すれば2100年に人口は半分近くまで減少する。日本も似た道をたどる。「我が国は社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際に置かれている」(岸田施政方針演説)の認識はその通りだ。出生率が1.5を切る危険水域に差し掛かってから30年になる。ようやく慌てている感があるが、これまで毎年の少子化対策費は微増に過ぎなかった。
 19日の少子化対策関係府省初会議で、岸田氏は①児童手当などの経済的支援強化②保育士の処遇改善や産前・産後のケア、幼児教育や保育サービスの充実③働き方改革の推進、の基本的方向を指示した。児童手当の支給額を吊り上げる政策が間違っているとは言わないが、それだけで少子化はストップできるのか。婚外子が多い欧米では、社会全体で子育てを支援する精神風土がある。潜在的に儒教意識の強い日本、韓国では出産は結婚が前提だ。彼我の文化・慣習にまで踏み込む分析をしないと「異次元の対策」は低次元の絵に描いた餅に終わる。「岸田おろし」はなぜ起きないか、の論考に戻る。岸田氏超強気の背景に、任期満了をもって退くという破天荒な仮説をいったん脇に置き、現実の政治力学から検証してみたい。政治ジャーナリストなら誰でも思いつくようなものだ。党内第5派閥を率いる岸田氏は「安倍イメージ」「後ろ盾」を最大限利用することで政権をスタートさせた。安倍氏が非業の死を遂げた後、最大派閥・安倍派は後継領袖をいまだ決められない。手を挙げる人が多く派閥として「一致団結箱弁当」の行動が取れず、結束して岸田氏に反旗を翻せない。結果、最大派閥のメリットが消滅する。これが岸田氏に好都合だった。逆に岸田氏は安倍派に「安倍さんの遺志を継いでやっているよ」の秋波を送れば万事うまく収まるという案配だ。旧統一教会問題が安倍派を直撃したのも追い風となった。安倍派が動かなければ、非主流派の二階、森山派、菅グループだけで党内過半数に届かない。加えて、野党の体たらくがある。かつて自民党に対峙する勢力を支持してきた連合は、今やどの政党を支持しているか分からない。野党は分裂し、塊となって政権に対抗できていない。これまで政策の議論は与野党間で行ってきた。それを今、自民党はリベラルやタカ派の派閥間でやってしまう。国会で議論する時にはすでに二番煎じ、新鮮味が乏しい。それゆえ、自民党が政策でどんな方向性を打ち出しても政党支持率は極端に下がらない。対して、蚊帳の外に置かれた野党の支持率は低迷したままだ。政権をおびやかすことのできない野党は全く怖くない。さらに「ポスト岸田」候補も本命がいない。名前の挙がる人は、全員「帯に短し、襷に長し」。岸田氏よりも能力、見識が上か、と問われれば正直首をかしげたくなる。しかも、そのほとんどが閣内か党執行部に取り込まれ、勝手に身動きできない。こうした複数要因が絡まって「岸田おろし」の風は起きない。
 唯一の例外は、無派閥の菅義偉前首相である。退任後、しばらく沈黙を通してきた。年末年始にかけメディアへの露出を増やし、岸田政治に苦言を浴びせている。岸田氏の派閥尊重姿勢、防衛費増額をめぐる増税方針、少子化対策の財源について「消費税増税はあり得ない」と立て続けに対決色を打ち出す。永田町は「倒閣の狼煙か」と色めきだった。仮に岸田氏が早期退陣に追い込まれれば、残る任期をカバーできるのは一部に河野太郎デジタル相説もあるが、麻生太郎副総裁か菅氏、と読む向きが少なくない。ただ、菅氏本人は「再登板はまったく考えていない」とインタビューで言う。徳川家康が残した名言の一つに「われ志を得ざる時、忍耐この二字を守れり。われ志を得んとする時、大胆不敵この四字を守れり。われ志を得て後、油断大敵この四字を守れり」がある。菅氏は「われ志を得んとする時」と見たか。この揺さぶりが一陣の風に終わるか、台風まで発達するのか、しばらく気圧配置を見守りたい。