振り返るにはまだ早いのかもしれない。この夏は異常な暑さだった。コロナ禍は過ぎたのに、多くの方は冷えた部屋で巣籠もりに逆戻りしたに違いない。甲子園の高校野球が無聊を慰めてくれる。優勝した慶応高校の「エンジョイ・ベースボール」「脱丸刈り」「圧倒的応援団」に賛否が渦巻く。私見を述べるなら、エンジョイ・ベースボールとは監督が上から押し付けるものではなく、選手の自主性を重んじることだろう。「俺が勝たせてやる」。昭和時代鬼監督の思い上がりよりずっといい。野球は髪型でやるものでない。自分の好きなチームを力いっぱい応援してどこが悪いのか。対戦相手が仮に弱小チームで手加減したなら、その方が失礼極まりない。慶応、仙台育英とも最後まで手抜きしなかった。うれし涙と悔し涙は少しだけ味が違うらしい。副交感神経が働くうれし涙は水分が多くて薄味になるそうだ。交感神経が優勢になる悔し涙は水分少なめ、塩分多めでしょっぱくなる。選手諸君、涙はどんな味だったかな。国会のセンセイたちが地元に帰って田の草取りや外遊で、永田町は閑古鳥が鳴く。静まり返った町に、岸田文雄政権の支持率下落だけが通奏低音のように流れる。いつも低めに出る時事通信や毎日新聞の支持率は20%台の危険水域、他のメディアも30%台前半で固定化してきた。野球で例えるなら、自軍のエラーが続き9回ノーアウト満塁でサヨナラ負け寸前に追い込まれている。お盆休暇を取った岸田氏は初日の11日、丸の内の書店で書籍を10冊程購入した。その中の1冊が村上春樹の新刊長編『街とその不確かな壁』(新潮社刊)である。「壁」がキーワードの作品で「弱いぼく」があちら側とこちら側で自分という存在の不確かさを深掘りしていくストーリーだ。そして結末は「ぼく」が「彼女」にサヨナラを言い、ろうそくを消す。「選択」と「消失」を象徴しているのか。小説と現実は別物だが、岸田氏の前途を暗示するような縁起でもない展開だ。「10月衆院解散・総選挙」はこれまで筆者もいたる所で書いてきた。ところが、自軍の失策が続き、支持率の低空飛行が常態化すると「10月選挙はとてもじゃないが無理」という声が与党幹部や官邸周辺から漏れてきた。呼応するように、永田町で怪文書まで出回っている。「衆院解散・総選挙について、今秋はおろか来年の党総裁選任期まで断行できず、退陣を余儀なくされる」――。
こんな記述がある。村上小説になぞらえてこじつけで言うと、総選挙断行にさよならを告げ、政権存続のろうそくは風前の灯になっている、というところか。執筆者不明の怪文書を鵜呑みにする者はいない。
ただ、10月総選挙の可能性が低くなったことにはリアリティーが増している。何度も書いてきたことだが、首相たる者、一度は伝家の宝刀を抜きたくなるらしい。だが、アプリオリに、いつでも、誰でも抜刀できるものではない。解散・総選挙は政権基盤を強化するための手段である。負けることが分かっていて、解散を打つ首相はいない。愚か者のレッテルを貼られるだけだ。唯一の例外は、衆院任期が迫った時の嫌々ながらやらざるを得ない「追い込まれ解散」だ。宮沢喜一元首相がこのケースに当たる。案の定、自民党は大敗して下野した。支持率が30%を切った首相は、憲法で保障されている大権を奪われる。「解散したら自民党は惨敗。10月総選挙の可能性は99%ない」。自民党議員から漏れてくるうめき声はたぶん本音に近い。政治カレンダーから考察してみたい。9月中旬に内閣改造・党役員人事が行われるのは間違いなかろう。岸田氏が7月下旬からほぼ連日昼夜を問わず与党幹部や自民党各派実力者と個別会談・会食を繰り返してきた。閣僚待機組の推薦や人事構想を練るため、下ごしらえのパフォーマンスだ。人事の前は、例によってマスコミ辞令などが飛び交う。注目は、政府・与党の要職を占める茂木敏充幹事長、萩生田光一政調会長、河野太郎デジタル担当相、高市早苗経済安保相、木原誠二官房副長官の処遇と小渕優子組織運動本部長の抜擢、といったところか。岸田氏と話し合った自民党幹部によると「アッと驚くようなサプライズや抜擢人事はないと思う」と予想する。▶︎
▶︎筆者の耳に入ってくる情報をもとに勝手な「辞令」が許されるなら(間違ったらごめんなさい)①茂木氏は留任②萩生田氏留任か他ポスト③河野氏当面留任④高市氏留任は確率5割⑤木原氏は確率7割で留任濃厚だが、官房副長官(参院枠)の磯崎仁彦氏は恐らく交代⑥小渕氏抜擢は今回パスか――という案配になる。人心一新というより安全パイで挙党体制を優先する。ちなみに、「エッフェル塔姉さん」の異名を取った松川るい前党女性局長は参院枠から入閣待機組の一人に挙がっていたが水泡に帰した。ご本人は「あんなしょうもないことで…」と恨み節を漏らしたそうだ。
余計なお世話かもしれないが、SNSに写真や発言を上げる時、ニュースの発信者になるという自覚のない人は止めた方がいい。世の中は「アンチ」が渦巻いており、足を引っぱろうと虎視眈々狙っている。「能天気に写真を載せた方がバカなのよ」と言うしかない。人事の日取りは、岸田氏の外交日程(東アジア首脳会議やG20、国連総会での演説)を考えると、9月の11日からの第3週か、それをスルーすると25日からの第5週しか残っていない。経験則に照らすと、内閣改造・党役員人事から1カ月以内に総選挙に突っ込むのはかなりの力業になる。選挙担当ポストに就く人が代わるとなおさらだ。従って、日程面からも10月総選挙は遠退いていると言わざるを得ない。外務官僚に知己が多く、外交が専門領域である筆者には、18日米国のキャンプデービッドで行われた日米韓首脳会議は確かな外交成果と評価したい。玄人受けする合意が詰まっていた。
その一つが「政権交代があっても変わらない原理原則」の合意だ。政権交代のたびに前政権の約束を反故する韓国に向けた「しばり」である。米国から見れば、AUKUS(米英豪)、QUAD(日米豪印)に加え日米韓という三つ目の対中包囲網が出来上がった。米国が「歴史的」と喧伝する所以だ。中国からすると、地政学的に近い日米韓が一番嫌な枠組みだろう。ただ、玄人受けの外交果実は内閣支持率の押し上げ要因とはならない。せいぜいポテンヒットぐらいの効果しか期待できない。G7広島サミットは本来の外交とは異質の「国際的政治ショー」である。一時的に華やかなショータイムに酔いしれても長続きはしない。国民は、掴みどころのない外交よりも、暮らしにかかわる問題に関心を抱き、政権党のオウンゴールに怒る。それが支持率に反映する。ちょっと思い返しただけで、▽マイナンバー問題▽木原官房副長官の疑惑払拭問題▽フランス「物見遊山」研修▽秋本真利衆院議員の「風力発電汚職」▽寺田稔前総務相の公選法違反疑惑▽ガソリン「1L=200円」など物価高への怒り▽異次元の少子化対策や防衛費増額の財源先送り▽低年金と高齢者の貧困、などが浮かぶ。当の岸田氏にも怒りの矛先が向かう。「聞く力」「スピード感を持って」「丁寧に対応」は岸田氏の常套句だが、今やこれが「真っ赤な嘘でないか」と糾弾される。原発処理水の海洋放出は「どの耳から聞いたのか」と福島県の漁民が怒る。旧統一教会の問題は文科省にスピードアップを指示したがスローダウンしたままだ。総裁選で岸田氏の看板政策だった「新しい資本主義」はキャッチフレーズだけで中身は一向に示されない。「オオカミ少年効果」という言葉がある。「オオカミが来たぞ」と嘘を繰り返すことで、情報の信頼度低下を招き、人に信じてもらえなくなることを言う。一国のトップリーダーを「オオカミ少年」というつもりは毛頭ないが、言葉と行動のミスマッチは国民の不安や不満の高止まり要因の一つになっていないか。普通の人ならめげる窮地だが、首相周辺によると「とにかく元気な岸田」が持続しているという。これには感嘆するしかない。開成高校野球部「6番セカンド」で声出しの中心だった岸田選手。苦境になると「レッツ・ゴー」と声を張り上げて仲間を鼓舞していた球児は、今もその延長線上にいるのかもしれない。