高支持率を背負った高市早苗政権は強気の政権運営が際立つ。「疾風怒濤の政権発足1か月」と評する人がいる。怒濤の最たるものは、台湾有事を巡る「存立危機事態」の具体例を明示したことだろう。中国が猛反発、日中関係に修復しがたいほどのひび割れが入った。日本は毅然としていればいい、という声がある。毅然としていれば東アジアの緊張が氷解するのだろうか。内閣支持率は歴代政権でも有数の好発進となった。初の女性首相と勇猛果敢な政治姿勢が変化への期待感を強めた。就任後初の所信表明演説では「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」と述べる。言葉は力強く、歯切れがいい。だが、具体性に乏しい。
ならば、と自分の言葉で具体的に語った結果、一線を越えて「勇猛」が「無謀」になってしまった。本稿は「中国が台湾に武力侵攻すれば、日本の存立危機事態になりえる」との高市答弁が「疾風怒濤のハレーション」を起こしたことにスポットライトを当てる。高市氏は7日、一問一答形式で議論する衆院予算委員会に初めて臨んだ。事前に用意した答弁書を読み上げる代表質問と異なり、立憲民主党の岡田克也元外相の追及にアドリブで答え、高市カラーを出した。岡田氏は、昨年の自民党総裁選で高市氏が中国による台湾の海上封鎖を「存立危機事態」の例に挙げていたことを踏まえ「どのような事態になれば存立危機に該当するか」と質した。高市氏は「戦艦を使って、武力の行使を伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースだ」と明言する。存立危機事態とは、安倍晋三政権の2015年に成立した平和安全法制(安全保障関連法)で初導入された概念だ。「日本と密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、その結果日本の存立が脅かされ国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が生じた事態」を指す。安保法制の中核となる新たな武力行使三要件の第1項に明記された。第2項は、それを排除し日本を防衛する適当な手段がない。第3項は、必要最小限の実力行使にとどまる、となっている。この3要件が満たされた場合のみ、日本は憲法9条の下でも武力行使(集団的自衛権行使)が可能と解釈された。
ただし、手続きとして、国家安全保障会議で存立危機事態を公式認定し、対処方針を閣議決定したうえ、国会の承認が必要となる。台湾有事の際、武力行使するのは中国しかあり得ない。高市答弁は、中国が武力によって台湾統一に乗り出した場合、日本も参戦する可能性があると踏み込んだ。現職首相として初めて対中戦争の可能性に言及した。この発言が中国を「挑発」し、猛反発する引き金となる。アドリブ答弁であるのは疑いない。「戦艦」という現代社会ではほとんど死語になった言葉を使っている。 中国海軍は軍艦を保有しているが戦艦はない。防衛省から出向している、高市氏お気に入りの首相秘書官が答弁原稿を書くとき、そんな初歩的間違いをするはずがない。霞が関の高級官僚ОBは「高市答弁はフライングでない」と言い切る。岡田氏がこう攻めてきたら、こう答えると想定し、満を持して答えた、との見方を採る。これまでも歴代首相は同様の質問を受けてきた。安倍首相は「我が国に戦火が及ぶ蓋然性、国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断する」(15年5月の参院本会議)。どこの国を対象としているか分からない、巧妙なテクニカル答弁である。岸田首相は「手の内を明らかにすることになるわけだから…」(23年1月の衆院予算委)と、具体例を示すことを拒否している。しかし、高市氏は「デンジャラス・ゾーン」に足を踏み入れてしまった。最側近の木原稔官房長官は「言わなくてもいいことを言ってしまった」と臍を噛んだとされるが、後の祭り。反撃する中国側先兵は駐大阪総領事で、Xに「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」と不穏当な表現で書き込んだ。二の矢は、日本への渡航自粛、水産物の輸入停止(共同通信の“特ダネ”だが、まだ表明していないという説がある)の対抗手段を打ち出す。国際社会への対日批判工作は矢継ぎ早だ。中国の国連大使はグテーレス国連事務総長に宛て「日本が台湾情勢に武力介入すれば、侵略行為として自衛権を行使する」との書簡を送る。王毅共産党政治局員・外相は「日本の軍国主義復活を許さない」と、名指しで日本を批判。しんがりは習近平国家主席がトランプ米大統領に電話をかけ「台湾復帰(統一)は戦後国際秩序の重要な構成要素だ」と主張し「中国と米国はかつてファシズムと軍国主義に対し共に戦った」と強調する(24日、新華社通信)。トランプ氏は「重要性は理解する」と応じたという。この問題で、米国、韓国などの各国政府は公式コメントを控えている。「触らぬ神にたたりなし」の態度である。▶︎
▶︎国内の反応は、評価と懸念が入り混じる。政府・与党は「従来見解に沿ったもの」との公式立場を取る。自民党内の強硬保守派からは「むしろ明確に態度を示すことは抑止力になり、評価できる」と擁護する声もある。野党側は総じて問題視している。立民の野田佳彦代表は「曖昧さを払拭して明快に答えることは間違いなく国益を損ねる。勇み足だった」。共産党の志位和夫議長は「そもそも集団的自衛権行使は憲法違反だ。台湾有事を口実に戦争への道を開くとは許されない」。存立危機事態の概念は、憲法学者からこれまで「曖昧で歯止めが利かない」と指摘されてきたテーマである。一部の防衛専門家は、具体例の明言は抑止どころか戦略的柔軟性を失わせると批判する。事実、防衛省の文官たちですら「日本がどの防衛ラインから軍事コミットするかを中国に教えてしまえば、相手はそれを回避して日本を追い詰める戦術を容易に変更できる」と口にする。「台湾封鎖+軍艦使用」で日本が動くと言えば、当然にも中国は軍艦を使わない経済圧力やサイバー攻撃で台湾を屈服させる選択肢を取る可能性がある。軍事的リアリズムの観点からは、シナリオの具体的明示は得策でないようだ。メディアの論調は、保守系(産経新聞、読売新聞など)は「従来見解を維持」「集団的自衛権の具体的適用に踏み込んだ発言は評価できる」、リベラル系(東京新聞など)は「戦争へのハードルを下げる危険な発言」と、別れる。直近の世論調査では、内閣支持率に大きな変動は見られない。当の高市氏は「発言を撤回しない」が「今後は明言を慎む」との立場だ。26日の党首討論では「聞かれたので…」「言及したいとは思わなかった」と論点ずらしに終始する。
この問題を巡っては様々な資料を読み込んでみた。経済誌『プレジデント』の小倉健一元編集長の論考が琴線に触れた。少し長いがキモを紹介する。「これは単なる失言でない。国家運営がバグを起こしている証拠である。(略)高市首相の描くシナリオの最大の欠陥は『アメリカ軍が必ず助けに来る』と言うことを、勝手に前提にしている点だ。首相は『米軍が来援する』と断言した。しかし、現在の国際情勢、特にアメリカの政治状況を少しでも理解していれば、これがどれほど危うい空想であるかがわかる。アメリカ、特にトランプ政権の外交方針は『アメリカ・ファ-スト』である。自国の利益にならない戦争には関わらない、同盟国には自分の国は自分で守れと言う。そして何より『コスト』を嫌う。中国という巨大な国と戦争になれば、アメリカにも甚大な被害が出る。そのためアメリカはこれまで『台湾を守るかどうかは曖昧にしておく(戦略的曖昧さ)』という高度なテクニックを使ってきた。あえて明言しないことで、中国を牽制してきたのである。
ところが、日本の首相が勝手に『アメリカ軍は来る』と国会の場で宣言してしまった。これは、同盟国であるアメリカのフリーハンド(自由な選択権)を縛る行為でもある。アメリカ政府からすれば『日本が勝手に我々の軍事行動を決めるな』『戦争の引き金を勝手に引くな』という話になる(以下略)」(24日配信の集英社オンライン)。 冒頭で示した高市氏の疾風怒濤のハレーションは、25日の高市・トランプ電話会談で「これ以上のエスカレーションを望まない」発言を招いたとされる。木原官房長官はトランプ氏が首相にクギを刺すような発言はなかったと断じたが、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)とロイター通信2社が「政府関係者2人」から匿名を条件に聞いたと報じている。衆院予算委員会での高市答弁がレッドラインを越え踏み込んだのは明らかだ。台湾有事は絵空事ではないが、発言一つで緊張が高まる東アジアの現状で、抑止力とリスクの両面を冷静に見極めるバランス感覚を国のトップリーダーに求めたい。
